あけましておめでとうございます。2022年の新年をお迎えして、三重大学上浜キャンパスの歴史を振り返りたいと思います。
現在、教養統合科目のPBL環境科学(現代科学)―景観を創るーという授業で、三重大学の上浜キャンパスの景観計画を作成してもらっています。景観計画を創る際には、その土地の歴史を知ることも重要になります。そこで、学生さんたちに、三重大学上浜キャンパスの歴史を調べてもらっています。その知識を少しだけおすそ分けします。
ウィキペディアで三重高等農林学校を引くと、 1919年7月:三重県会、高等農林学校設置予算議決。1919年9月:校地を津市上浜町に決定。1920年7月:整地完工。1921年2月:校舎着工。1921年12月10日:文部省直轄諸学校官制改正により三重高等農林学校設置 (勅令第456号)と書いてあります。
インターネットの日本法令索引で、「明治 勅令第456号」を引くと、明治32年の勅令第456号は、「公立学校職員ト教官其他教育事務ニ従事スル文官トノ間ノ転任ニ関スル件」であることが分ります。さらに「大正 勅令第456号」を引き、「国立国会図書館デジタルコレクション」で大正10(1921)年12月10日の官報2808号を見ると、明治の勅令第456号を改正して、三重高等農林学校が官立学校に加えられたことが分ります。三重大学の生物資源学部の前身は三重高等農林学校なので、生物資源学部は昨年12月に100周年を迎えたことが分ります。三重大学生物資源学部のHPの「生物資源学部 100周年記念サイト」も見てみてください。
これだけだと、上浜町に三重高等農林学校のキャンパスが存在した証拠にはならないのですが、やはり「国立国会図書館デジタルコレクション」で、三重高等農林を検索してみてください。すると大正10年12月22日の官報2818号が見つかって、それに「三重高等農林学校の位置を三重県津市大字上浜町とし大正11年4月より授業を開始す」と書いてあります。確かに上浜町あたりに三重大学のキャンパスはあったようです。でも例えば、グーグルマップで津市上浜町を検索してください。三重大学上浜キャンパスは、上浜町に含まれず、現在の三重大学の住所は、北半分が栗真町屋町で、南半分が江戸橋です。
abemaブログに山地和史さんという方が作られている「地図を見ながら」という素晴らしいブログがあります。その中に「三重大学へ」というブログがあります。実は前の段落にあるように官報情報を調べようと思ったのは、このブログがきっかけです。このブログに官報2818号に三重大学が授業を始めたと書いてあると書いてありました。さらにこのブログには、昭和12(1937)年第二回修正測圖之縮図の五万分一地形圖「津東部」の一部が掲載されています。ほぼ現在の三重大学上浜キャンパスの位置に、「高等農林学校」と記載されていて、概ね栗真村町屋に位置しています。
南山宏『ちょっと不思議な話』学研 (1992)には、「三重大学の住所は(三重県津市栗真町屋町)が正しいのに、三重高等農林学校時代から(三重県津市上浜町)を70年間も公称し、1990年に正しい住所に改められた」と書いてあります。これは、間違えていた訳ではなくて、当時は栗真村より津市上浜町の方が、郵便が早く届いたからという理由を聞いたことがあります。
さらに歴史を振り返ると、三重大学上浜キャンパスのすぐ横には伊勢街道が通っているわけですが、紙面が尽きてきたので、今回はここまでにします。
ちなみに写真は、年の初めなので縁起がいいとされるシマヘビです。それにつけても昨年10月に虎の写真を使っちゃったのは、悔やまれます。