1年生必修のアクティブ・ラーニング科目として、前期にスタートアップPBLセミナーが、後期に教養セミナーがあります。昨年度は僕も両方の科目を担当していたのですが、本年度は後期の教養セミナーだけを担当しています。教養教育院の中に、両科目に対する部会があり、教育内容を検討しています。僕自身アクティブ・ラーニング形式の授業を行うのは、初めてだったのですが、部会で検討していただいた内容にしたがって授業を行っているので、何とか運営できています。
本年度はそれに加えて、教養統合科目でPBL環境科学「景観を創る」という授業をしています。初めて自分で運営するアクティブ・ラーニング形式の授業ですので、いろいろと苦労しています。
「景観を創る」うえでは、「美しい」とは何かが問題になってきます。ウンベルト・エーコが書いた『美の歴史』東洋書林 (2005)という本があります。これは、西洋文化における「美しい」に対する考え方の変遷を書いたものです(ちなみに『醜の歴史』東洋書林(2009)という本も書いています)。要するに時代とともに「美しい」という概念が変わってくるという話で、図版が楽しいです。このように時代が変わっても「美しい」は変化しますし、文化が異なっても「美しい」は異なります。「景観を創る」うえで、正解がないのは困った話です。景観の場合は、その時代の多くの人が好むものが「美しい」、言ってみれば多数決で「美しい」を判断したりします。
ちなみに、僕がウンベルト・エーコを知ったのは、中世イタリアの修道院で起きた連続殺人ミステリ『薔薇の名前』東京創元社(1990)でです。これはショーン・コネリー主演で映画化もされています『薔薇の名前』(1986)。こちらも面白いので、ぜひ読んだり見たりしてみてください。
小方厚は『音律と音階の科学』講談社(2018)で、和音(例えばドミソ)が、なぜ「美しく」感じられるかの物理的解説をしています。小方は、2つの音が同時に鳴った時の不協和度を基に、例えばピアノで2つの音を同時に弾いたときに不協和度の合計が小さくなるのが和音だと示しています。2つの音が同時に鳴った時に感じられる不協和の程度は、当然人によって変わります。したがって、一般的な不協和度は、多くの人に聞いた結果、すなわち多数決で決定されます。基本的にはこの和音の考え方は西洋音楽のものなので、文化が異なれば異なった「美しい」が存在します。そしてやっぱり時代による変遷もあって、西洋音楽に限っても、新しい音楽の方が不協和な音が足されていたりします(最近のメロディメーカーであるブルーノ・マーズの曲でも、単純なコード進行の曲のほうが「美しく」感じてしまいますが)。
音の高さの違いは、音の波長の違いで表されます。波長が長いほうが低い音です。同様に光の色の違いは、光の波長の違いで表されます。目に見える波長が最も長い光が赤色で、波長が最も短い光が紫色です(これはニュートンが発見したんですよ)。音も光も、波長が離れれば離れるほど、違った音や色に感じられるかと言えば、不思議なことにそんなことになりません。音の場合は、波長が半分になると、高くなりますが、似た音になります。例えば、ドの音が1オクターブ上のドの音になります。光の場合も、波長の違いが最も大きい赤と紫は似ていますが、波長の違いが中位な赤と緑は違って見えます。音や光は、基本的な性質だけ取り出してもこのように複雑なので、「美しい」までは果てしない道のりです。
ちなみに写真は、左右対称で完璧な姿(当時の美の基準だと思う)のエジプト紳セクメトです。