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長いお別れ

2022年03月01日
 

教養教育院は、この3月で組織としては存在しなくなります。したがって、この院長ブログも今回で最終回となります。今回のブログでは、「別れ」について書いてみたいと思います。今回のブログのタイトル「長いお別れ」は、もちろんレイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』‎ 早川書房 (1976)に倣ったものです。最初にこの本を読んだ時には、この翻訳されたタイトルに非常に魅力を感じました。この本は、2010年に村上春樹によって新訳が出ています。本の表紙ではタイトルを翻訳せず『The Long Goodbye』、内部では『ロング・グッドバイ』としています。村上春樹は、この本に51ページにわたる(Kindleの電子版でですが)訳者あとがきを書いています。村上春樹がこの本のタイトルを『ロング・グッドバイ』としているのは、清水俊二の翻訳で有名な『長いお別れ』と区別をつけるためもあったと書いてあります。村上春樹は、チャンドラーの独特闊達な文体を褒めています。

この小説の中の有名なセリフ「To say goodbye is to die a little」の清水訳は「さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ」で、村上訳はほんの少しだけ違っていて「さよならをいうのは、少しだけ死ぬことだ」です。清水訳はとても有名ですが、どうも意味がよくわからないと思っていました。村上訳は、すっきりしています。だって人は「さよなら」を言うたびに死に近づいていきますからね。ただ、村上春樹のあとがきによると、このセリフはフランスの詩人エドモン・アロクールの「離れるのは少し死ぬことだ。それは愛するもののために死ぬことだ。どこでもいつでも、人は自分の一部を残して去っていく」が元ネタだそうです。そうだとすると、僕の解釈はちょっと間違ってる気もします。小学生の頃、学区に国家公務員宿舎があり、同級生が高頻度に引っ越しをしていました。その時に、引っ越してしまってもう会えなくなる友達は、自分にとっては死んでしまうのと同じだと感じていました。これは、ちょっと近い感覚なんじゃないでしょうか?

ところで中島京子に『長いお別れ』‎ 文藝春秋 (2015)という小説があり、2019年に映画化もされています。アルツハイマー型認知症を患った父が、徐々に父でも夫でもなくなっていく様を描いたものらしく(未読)、徐々にお別れしていくことを意味していて、レイモンド・チャンドラーとは無関係にも思えます。この映画に関連して、英語には認知症を『Long goodbye』=『長いお別れ』と呼ぶ表現があるというネット情報が沢山あります。また認知症患者の日記とか、ドキュメンタルフィルムに、「Long Goodbye」というタイトルをつけているものも沢山あります。しかし、そもそもこれらは、チャンドラーの小説から発想して、「Long Goodbye」というタイトルを付けたのではないかと思います。

そしてこの中島京子原作の映画の英語タイトルは、『The Long Goodbye』ではなく『A Long Goodbye』です。ありふれた一つの物語ですよという意味でしょうか?そういえば、僕が若い頃には「The Band」という有名ロックバンドがいて、それをもじった「A Band」という学生バンドがいました。

いよいよこの3月で教養教育院はなくなります。この別れは、は「The goodbye」でしょうか、「A goodbye」でしょうか?それとも、「Long goodbye」になるのか、よもやの「Short goodbye」になるでしょうか?きっとまたお会いしましょう!「サヨナラだけが人生だ」(井伏鱒二)

ちなみに写真は、小屋から旅立つニワトリたちです。

長く続く

2022年02月01日
 

先月のブログで、三重大の上浜キャンパスが100年続いてることを書きました。アガサ・クリスティの戯曲『The Mousetrap(ねずみとり)』も、ずっと続いていることで有名です。1952年の初演以来、2020年3月にCOVID-19の流行により公演が中断するまで、ロンドンのウエスト・エンドで連続公演が続き、世界で最も長い連続上演をしている演劇としてギネスにも登録されています。現在では、公演が再開されています。1952年が初演なので、今年で70周年を迎えます。現在でも、月曜日だけがお休みなだけで、週6日、木曜と土曜と日曜は昼夜2回公演なので、週に9回も公演されています。70年間、概ねこのペースで、一つの演劇が上演され続けているというのは、ものすごいことです(公演回数は29000回を超えています)。

僕も小学生の時に、子供向けのシャーロック・ホームズ全集を買ってもらって以来、英米ミステリーファンです。その後アガサ・クリスティ、レックス・スタウト、エラリークイーン、ヴァン・ダインと読み進み、レイモンド・チャンドラー、ダシール・ハメットとハードボイルドに揺れ、その系統でエルモア・レナード、R・D・ウィングフィールドあたりを読み継いでいます。

ミステリーで、かなり英米文化を知ったような気がします。その中で、一番驚いたのは、トニイ・ヒラーマンのナバホ・ネイション警察シリーズでした。ナバホ・ネイションというのは、ネイティブ・アメリカンのナバホ族の居留地、いわゆるインディアン居留地です。インディアン居留地には部族政府が置かれており、条件付きの自治権が認められています。アメリカにはこういう先住民の居留地が100カ所以上あります。試しにグーグルマップでアメリカ合衆国を表示して、「インディアン居留地」と検索してみてください。「○○リザベーション」とか「○○ネイション」が検索されます。基本的に居留地の中で起きた事件は先住民の部族警察が捜査をします。その部族警察を舞台にしたのが、ナバホ・ネイション警察シリーズです。比較的最近では、2017年に『ウインド・リバー』というウインド・リバー・インディアン居留地を舞台にし、部族警察とFBIの葛藤を描いた映画もつくられています。

このようにずっと続いている先住民の問題は、カナダにもあって、現在のトルドー首相が、ようやくカナダの先住民の事件について、もっときちんと調べるように指示をだしました。現在NHKで放送中の『アンという名の少女3』(一応モンゴメリ『赤毛のアン』が原作とされている)でも、先住民の子供たちを親から引き離し、キリスト教徒にするために寄宿学校に入れる場面が描かれています。カナダだけで15万人の先住民の子供たちが、寄宿学校に入れられたと言われています。

僕たちの子供の頃には、まだカスター将軍の第7騎兵隊がインディアンをやっつけるというようなテレビ番組や映画がいっぱい作られていました。その他のいわゆる西部劇も、野蛮で悪いインディアンを描いており、無邪気な僕たちは、完全にカスター将軍側からインディアンを見ていました。ダスティン・ホフマン主演の『小さな巨人(リトルビックマン)』(1970)は、西部劇の転換点と言われる名作ですが、複雑な話で転換前の単純な話を期待していた小学生には、難しすぎました。カスター将軍は、リトルビッグホーンの戦いで死にます。この戦場は「カスター古戦場国立公園」となりますが、2003年にようやく「リトルビッグホーン古戦場国立公園」になります。クロー・リザベーションにあるので、グーグルマップで探してみてください。

ちなみに写真は、寒そうな庭です。

三重大学上浜キャンパス

2022年01月01日
 

あけましておめでとうございます。2022年の新年をお迎えして、三重大学上浜キャンパスの歴史を振り返りたいと思います。

現在、教養統合科目のPBL環境科学(現代科学)―景観を創るーという授業で、三重大学の上浜キャンパスの景観計画を作成してもらっています。景観計画を創る際には、その土地の歴史を知ることも重要になります。そこで、学生さんたちに、三重大学上浜キャンパスの歴史を調べてもらっています。その知識を少しだけおすそ分けします。

ウィキペディアで三重高等農林学校を引くと、 1919年7月:三重県会、高等農林学校設置予算議決。1919年9月:校地を津市上浜町に決定。1920年7月:整地完工。1921年2月:校舎着工。1921年12月10日:文部省直轄諸学校官制改正により三重高等農林学校設置 (勅令第456号)と書いてあります。

インターネットの日本法令索引で、「明治 勅令第456号」を引くと、明治32年の勅令第456号は、「公立学校職員ト教官其他教育事務ニ従事スル文官トノ間ノ転任ニ関スル件」であることが分ります。さらに「大正 勅令第456号」を引き、「国立国会図書館デジタルコレクション」で大正10(1921)年12月10日の官報2808号を見ると、明治の勅令第456号を改正して、三重高等農林学校が官立学校に加えられたことが分ります。三重大学の生物資源学部の前身は三重高等農林学校なので、生物資源学部は昨年12月に100周年を迎えたことが分ります。三重大学生物資源学部のHPの「生物資源学部 100周年記念サイト」も見てみてください。

これだけだと、上浜町に三重高等農林学校のキャンパスが存在した証拠にはならないのですが、やはり「国立国会図書館デジタルコレクション」で、三重高等農林を検索してみてください。すると大正10年12月22日の官報2818号が見つかって、それに「三重高等農林学校の位置を三重県津市大字上浜町とし大正11年4月より授業を開始す」と書いてあります。確かに上浜町あたりに三重大学のキャンパスはあったようです。でも例えば、グーグルマップで津市上浜町を検索してください。三重大学上浜キャンパスは、上浜町に含まれず、現在の三重大学の住所は、北半分が栗真町屋町で、南半分が江戸橋です。

abemaブログに山地和史さんという方が作られている「地図を見ながら」という素晴らしいブログがあります。その中に「三重大学へ」というブログがあります。実は前の段落にあるように官報情報を調べようと思ったのは、このブログがきっかけです。このブログに官報2818号に三重大学が授業を始めたと書いてあると書いてありました。さらにこのブログには、昭和12(1937)年第二回修正測圖之縮図の五万分一地形圖「津東部」の一部が掲載されています。ほぼ現在の三重大学上浜キャンパスの位置に、「高等農林学校」と記載されていて、概ね栗真村町屋に位置しています。

南山宏『ちょっと不思議な話』学研 (1992)には、「三重大学の住所は(三重県津市栗真町屋町)が正しいのに、三重高等農林学校時代から(三重県津市上浜町)を70年間も公称し、1990年に正しい住所に改められた」と書いてあります。これは、間違えていた訳ではなくて、当時は栗真村より津市上浜町の方が、郵便が早く届いたからという理由を聞いたことがあります。

さらに歴史を振り返ると、三重大学上浜キャンパスのすぐ横には伊勢街道が通っているわけですが、紙面が尽きてきたので、今回はここまでにします。

ちなみに写真は、年の初めなので縁起がいいとされるシマヘビです。それにつけても昨年10月に虎の写真を使っちゃったのは、悔やまれます。

教養とは何だろう?

2021年12月01日
 

先日、「三重大学教養教育シンポジウム2021」が開催され、教養教育カリキュラムと組織の7年半の検証を行いました。そこでは、そもそも「教養とは何だろう」ということも問題とされ、「専門家主義」と「教養主義」のせめぎ合いも話題になりました。「専門バカ」ではない本物の「専門家」を育てるにはどうしたらいいのでしょうか?

「専門バカ」と聞いて、真っ先に思い出したのが、ベストセラーになったM・スコット・ペック『平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学』草思社(1996)でした(なんとウィキペディアにも載っています)。この本の5章が「集団の悪」についてで、僕の記憶によると、「専門家集団は必ず邪悪化する」という表現があったと思っていました。今回改めて探してみると、その表現はありませんでしたが、主旨はこの通りと思います。

著者のペックは、精神科医でアメリカ軍に勤務し、ベトナム戦争の「ソンミ村虐殺事件」の心理学的要因を探る3人の精神科医からなる委員会の委員長でした。「個人としては邪悪ではないと思われる500人近くの人間の全員が、ソンミ村で行われたような非道な悪に、なぜ加わったのだろうか」という疑問の下で、「集団の悪」を検討しています(学生諸君は、「ソンミ村虐殺事件」を知らないかもしれないけれど、これもウィキペディアに載っています)。ペックは、完全徴兵制度になれば、「専門家集団」に素人が紛れ込むので、軍隊を健全に保つことができると言っています。大学教育をどうすべきかという話は難しいですが、少なくとも大学に入りたての1年生たちは、「専門家集団」である大学教員たちの精神を健全に保つために役立つんではないかと思います。

狂気と言えば、映画『ヒトラー 〜最期の12日間〜』(2004)を見ました。ヒトラーの実像を、思慮深く表現していると評判の映画です。ドイツ、オーストリア、イタリア共同制ですが、若干ドイツ人びいきであるようにも感じました。この映画の原作は、同名で2005年に岩波書店から発行されています。著者のヨアヒム・フェストは、ヒトラー伝記の最高傑作と言われる『ヒトラー』河出書房新社(1975)も書いています。

このヨアヒム・フェストの伝記に対して、ヒトラー時代の意味を書いたとされるのが、セバスチャン・ハフナーの『ヒトラーとは何か』草思社(1979)です。この本は13歳の少女の新聞への投書「厚くなくてやさしいヒトラーの本が読みたい、そんな本が読めれば、若者は物を知らないと言われなくともすむのに」に応えたもので、当時ドイツでベストセラーになったようです(現代のわれわれの基準からすれば、十分に厚くて難しいようにも思いますが)。

人々がヒトラーを信頼するに至った大きな原因の一つとして、600万人の失業者に職を与えられるようになった経済奇跡があげられることを、無知な僕はこのハフナーの本で初めて知りました。この奇跡が偶然起こったのか、必然かはさておき、経済的に豊かにしてくれる治家を人々は信頼してしまうのですね。ナポレオンが人気を博した理由の一つにも、経済政策がうまくいったこともあるようですから。ちなみに本年2021年は、ナポレオンの没後200年です。

もう12月なので、写真はクリスマスっぽいものを載せておきます。

アクティブ・ラーニング

2021年11月01日
 

1年生必修のアクティブ・ラーニング科目として、前期にスタートアップPBLセミナーが、後期に教養セミナーがあります。昨年度は僕も両方の科目を担当していたのですが、本年度は後期の教養セミナーだけを担当しています。教養教育院の中に、両科目に対する部会があり、教育内容を検討しています。僕自身アクティブ・ラーニング形式の授業を行うのは、初めてだったのですが、部会で検討していただいた内容にしたがって授業を行っているので、何とか運営できています。

本年度はそれに加えて、教養統合科目でPBL環境科学「景観を創る」という授業をしています。初めて自分で運営するアクティブ・ラーニング形式の授業ですので、いろいろと苦労しています。

「景観を創る」うえでは、「美しい」とは何かが問題になってきます。ウンベルト・エーコが書いた『美の歴史』‎東洋書林 (2005)という本があります。これは、西洋文化における「美しい」に対する考え方の変遷を書いたものです(ちなみに『醜の歴史』東洋書林(2009)という本も書いています)。要するに時代とともに「美しい」という概念が変わってくるという話で、図版が楽しいです。このように時代が変わっても「美しい」は変化しますし、文化が異なっても「美しい」は異なります。「景観を創る」うえで、正解がないのは困った話です。景観の場合は、その時代の多くの人が好むものが「美しい」、言ってみれば多数決で「美しい」を判断したりします。

ちなみに、僕がウンベルト・エーコを知ったのは、中世イタリアの修道院で起きた連続殺人ミステリ『薔薇の名前』‎東京創元社(1990)でです。これはショーン・コネリー主演で映画化もされています『薔薇の名前』(1986)。こちらも面白いので、ぜひ読んだり見たりしてみてください。

小方厚は『音律と音階の科学』講談社(2018)で、和音(例えばドミソ)が、なぜ「美しく」感じられるかの物理的解説をしています。小方は、2つの音が同時に鳴った時の不協和度を基に、例えばピアノで2つの音を同時に弾いたときに不協和度の合計が小さくなるのが和音だと示しています。2つの音が同時に鳴った時に感じられる不協和の程度は、当然人によって変わります。したがって、一般的な不協和度は、多くの人に聞いた結果、すなわち多数決で決定されます。基本的にはこの和音の考え方は西洋音楽のものなので、文化が異なれば異なった「美しい」が存在します。そしてやっぱり時代による変遷もあって、西洋音楽に限っても、新しい音楽の方が不協和な音が足されていたりします(最近のメロディメーカーであるブルーノ・マーズの曲でも、単純なコード進行の曲のほうが「美しく」感じてしまいますが)。

音の高さの違いは、音の波長の違いで表されます。波長が長いほうが低い音です。同様に光の色の違いは、光の波長の違いで表されます。目に見える波長が最も長い光が赤色で、波長が最も短い光が紫色です(これはニュートンが発見したんですよ)。音も光も、波長が離れれば離れるほど、違った音や色に感じられるかと言えば、不思議なことにそんなことになりません。音の場合は、波長が半分になると、高くなりますが、似た音になります。例えば、ドの音が1オクターブ上のドの音になります。光の場合も、波長の違いが最も大きい赤と紫は似ていますが、波長の違いが中位な赤と緑は違って見えます。音や光は、基本的な性質だけ取り出してもこのように複雑なので、「美しい」までは果てしない道のりです。

ちなみに写真は、左右対称で完璧な姿(当時の美の基準だと思う)のエジプト紳セクメトです。

読書の秋

2021年10月01日
 

いよいよ後期授業がスタートしました。残念ながら、まだ全面対面授業とはならず、対面とオンラインのハイブリッド授業です。

教養教育の後期授業の目玉は、「教養セミナー」という授業です。「教養セミナー」は、少人数のグループに分れて、グループ内で同じ新書を読み、お互いに議論しアドバイスしながら、各自が書評を仕上げるという授業です。学生の基本的な読む力、書く力を向上させようという授業です。近年若者が本を読まなくなってきていると言われますが、学生たちの仕上げる書評は優れたもので、毎年『優秀書評集』が発行されています。三重大学図書館で探してみてください。

間もなく『DUNE デューン』(2021)という映画が公開になると盛んに宣伝されています。この映画の原作は、フランク・ハーバートの同名の小説(1965)で、SF小説に最初にエコロジーの概念を持ち込んだものと言われています。この小説は、欧米では熱心なファンがいることで有名です。そして何といってもこの小説の道具立ては、『スター・ウォーズ』(1977)にかなり似ていますし、『風の谷のナウシカ』(1984)にもいくつか似ているところがあります。

この小説は、すでに1984年にデヴィッド・リンチ監督によって一度映画化されています。あまり評判は良くなかったのですが、敵役のハルコネン男爵の甥を、英国のロックバンド ポリスのスティングが演じたことで有名でした。この小説を映像化したいという思いを多くの人が抱くようで、その後もTVドラマ化や別の監督が映画化しようとしたドキュメンタリーなどもあります。フランスの本当に周囲に何もない宿で、その宿に来る途中で車が壊れ、そこまで25km歩いてきたというカップルに会いました。彼らはなんと『DUNE』の自主製作映画を作ってる人たちでした。そのころ既にデヴィッド・リンチ版の『DUNE』は公開されていたのですが、彼らによるとハリウッド映画なんて駄目だということでした。したがって、自分たちの手で映像化したいということでした。その後彼らの映画が完成したのかどうかは、残念ながら知りません。

2021年版の『DUNE 』の監督は、ドゥニ・ヴィルヌーヴという人で、僕の最初の院長ブログに出てくる『ブレードランナー2049』(2017)の監督でもあります。『ブレードランナー』の原作は、P.K.ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(1968)です。P.K.ディックは、僕の最も好きな小説家です。米国には、保守的な一面があり、SF小説は文学的評価も低く、原稿料も安いという傾向があります。P.K.ディックは生涯(1982年死亡)を通じて、年収の半分以上を海外から得ていたということです(ポール ウィリアムズ『フィリップ・K・ディックの世界』(2017))。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』が最初に映画化されたのは、1982年でリドリー・スコット監督によってです。このリドリー・スコット監督の家では、一時(13年間)日本人女性をハウスキーパとして雇っていました。彼女のエッセイ、高尾慶子『イギリス人はおかしい』(2001)もなかなか面白いです。

似ていると言えば手塚治虫『ジャングル大帝』とディズニー『ライオンキング』はそっくりですが、大人の事情があると思われます。ちなみに写真は、ホワイトライオンではなくホワイトタイガーです。

万人のための大学

2021年09月01日
 

8月には終戦記念日がありました。前に三重大学記念日の話を書くときに、新制三重大学は連合軍占領下の学制改革で生まれたと書きましたが、戦争と大学の間には、大きな関係があると言われています。フランスのグランゼコールはフランス革命後に、近代大学のモデルと言われているベルリン大学もナポレオン軍との衝突後に誕生し、アメリカでも独立戦争後に多くの州立大学が生まれ、さらに南北戦争中から戦後にかけて多くの大学が誕生したようです。

もちろん第2次世界大戦も大学に大きな影響を与えています。アメリカでは、ルーズベルト大統領の下で、GIビルという復員軍人のための法律ができました。GIビルによると復員軍人は最低1年から4年の教育を受ける権利があり、授業料などに加えて生活費も支給されました。この法律は、復員兵の失業を防ぐことを目的としていたようですが、多くの若者が大学に通うようになり、このために万人のための大学という考え方が出てきたようです(中山茂『大学とアメリカ社会』朝日選書)。

『我等の生涯の最良の年』(1946)は、戦後すぐに制作されかつ公開されたアメリカ映画で、アメリカの復員軍人を描いたものです。アカデミー賞9部門を受賞し、名作と言われています。この映画の中の復員軍人は誰も大学には行きませんが、復員軍人の就職の難しさはよく描かれています。戦後すぐの映画なのに、日本人へのフェアな評価(日本人は家族を大事にする。もっともこの例として出てくるのが、死んだ日本兵が持っていた家族の寄せ書きがある日の丸(映画の登場人物がお土産として持ち帰ったもの)なのはビックリでしたが)や、原爆に対する割と否定的な態度は好感が持てるものです。この映画を見ると幸せな気分になれるという評価も多いのですが、時代もあってやや男性目線のファンタジー的な部分もあります。女性が見るとどうなのでしょう?

GIビル後の万人のための大学という理念に基づいて、多くのアメリカの大学では夏休み期間中にサマースクールが開講されます。社会に開かれた大学を目指したものなので、老若男女様々な受講生を受け入れています。ですので、Web上でサマースクールを検索するとものすごく多くのサマースクールプログラムを見つけることができます。

このサマースクールの理念に基づいて、三重大学の教養教育院でも夏休み中に教養教育カレッジが開催されています。現役の三重大生が受講したら正式な単位になり、他の大学の学生も、一般社会人も高校生も受講することができます。高校生が受講してくれた場合、その後三重大学に入学してくれれば、三重大学の正式な単位にもなります。まさに社会に開かれた大学を目指したプログラムです。授業を担当していただいている先生がたは、現在のところ三重大学の名誉教授の先生がたです。豊富な知識を持った先生がたの授業をぜひ受けてみてください。本年度はもう終了しており、コロナ禍のために残念ながらすべてオンラインの授業でした。

今後もますます大学が社会に開かれ溶け合って、全体として一つの良好な地域を構成するようになるといいなあと思います。

ちなみに写真は、イサム・ノグチ設計の「全体をひとつの彫刻作品とする」というコンセプトの下に作られたモレエ沼公園です。

ピーターラビット

2021年08月01日
 

暑い日が続き、オリンピックも盛んです。夏休みもあって、映画『ピーターラビット2』(2021)が公開中ですので、ピーターラビットの話をすることにします。

今の学生諸君は、『ピーターラビット』に馴染みがあるのでしょうか?もう少し上の世代だと『ひらけ!ポンキッキ』や『ポンキッキーズ』でアニメが放映されていたので、お馴染みだったと思うのですが。『ピーターラビット』は、ビアトリクス・ポター原作の100年以上前に書かれた絵本です。

映画『ピーターラビット2』(2021)は、映画『ピーターラビット』(2018)が大ヒットした影響で製作された続編です。映画『ピーターラビット』の原作は、もちろんビアトリクス・ポターの絵本ということになっていますが、内容はほとんど原作を思い出させないドタバタコメディです。北米地域の様々な批評家による映画レビューをまとめた映画評論サイトRotten Tomatoesでは、「ビアトリクス・ポターの古典的キャラクターをカラフルで好ましい形で現代に蘇らせ、若い観客には楽しいかもしれないが、原作を愛する人たちを激怒させる危険性はかなりある」となっています。まあ映画の最初の方では違和感に苛まれますが、徐々に近年のCGの優秀さもあって、ウサギたちのモフモフぶりがかわいくてしょうがなくなります。

原作者のビアトリクス・ポターは、激動の人生を送った人で、ポターの伝記的映画『ミス・ポター』(2006)も感動ものです。ポターは印税を使って、景観が美しいことで有名な湖水地方のニア・ソーリー村のヒル・トップに農場を購入し、創作に専念します。自然保護に熱心で、多くの土地をナショナル・トラストに寄付し、全部で湖水地方の4000エーカー(約1600ha、東京ドーム350個くらい)以上の土地と15の農場、多くの建物をナショナル・トラストに寄付しています。

ボウネスには、『ビアトリクス・ポターの世界』という、ピーターラビットの博物館があって、俗っぽいと言えば俗っぽいのですが、ここのビアトリクス・ポターの生涯を紹介するビデオがなかなか泣けます。

湖水地方に行くと、パブリック・フットパスにもよく遭遇すると思います。パブリック・フットパスを歩いて英国の田園景観をぜひ楽しんで欲しいですが、なぜパブリックという名称がついているのかも一度考えて欲しいのです。英国に古くからある通行権や2000年に追加された散策権と、人間の福利厚生(human well-being)の関係(早い話が、単なる自然の中を歩く幸せですが)を実感してもらいたいのです。

CG動物モフモフ映画と言えば『パディントン』(2014)も有名です。これももちろんマイケル・ボンドの『くまのパディントン』が原作です。『ピーターラビット』に比べると、こちらの方が原作のイメージを守っています。したがってRotten Tomatoesでも、「愛される子供のキャラクターを、本質的な魅力を失うことなく21世紀に蘇らせた」となっています。この映画も好評だったようで、すでに『パディントン2』(2017)も公開されていますし、『パディントン3』の製作も決定しているようです。

ウサギの話と言えばリチャード・アダムス『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』評論社(1975)も大好きです。高校生の時に読んで、面白くて大感動しました。この前年にリチャード・バック『かもめのジョナサン』新潮社(1974)が、120万部の大ベストラーとなっていて、同じ動物ものということで比較されたりもしましたが、僕は『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』が段違いにお薦めです。

ちなみに写真は、ヒル・トップと湖水地方の景観です。

サギ

2021年07月01日
 

三重大学の1年生全員が必修で履修するスタートアップPBLセミナーでは、PBLに基づいたプロジェクト活動に取り組むことで、三重大学のディプロマポリシーについて知り、大学での学習方法やスキルなどを体験的に学習することを目指しています。プロジェクトは、SDGsに関連するテーマから選択することになっています。ただ昨年度と本年度に関しては、コロナ禍にあることから、新型コロナウイルス感染症の拡大に伴って新たに生じたり、注目されるようになったりした問題を取り上げることにしています。

SDGsのターゲットのほとんどは、直接的にも間接的にも、生態系と深く関係しています。よく知られているようにSDGsが達成されるための達成目標年は、2030年です。しかし、少し前までは生態系に直接的に関係する目標に関しては、達成目標年は2020年でした。

大学生の皆さんが小学生であったであろう2010年に、名古屋で「生物の多様性に関する条約」の第10回締約国会議(COP10)が開催されたのを覚えているでしょうか?この時に愛知目標が採択され、その達成目標年が2020年でした。SDGsのターゲットのうち、直接的に生態系に関するものの大部分は、愛知目標があてられています。そのため達成目標年が2020年になっていました。すでに2020年が過ぎていますが、なんと20の個別目標のうち達成は「ゼロ」でした。新しい目標の達成目標年はSDGsと同じ2030年で、その内容は中国で開催されるCOP15で決まる予定ですが、コロナ禍のため、まだ開催されていません。

生物多様性を守るための最もわかりやすい方法の一つが、絶滅の恐れのある種を守ることです。この地域で今の時期にお目にかかれる絶滅の恐れのある種として、チュウサギ(準絶滅危惧)がいます。白いサギは、3種類いてコサギ、チュウサギ、ダイサギです。まさに大きさが、小、中、大なのですが、この時期に営巣して子供を産みます。いま、東名阪自動車道を通ると蟹江インターチェンジと弥富インターチェンジに沢山のサギが営巣しています。サギたちが営巣する場所が減少してしまったために、このような場所で営巣しているのです。道路を走りながら見るのは危ないので、できればインターで高速道路から降りて、どこかに車を止めてから、双眼鏡で覗いて見てください。ヒナの様子も観察できます。他にも、アオサギ、アマサギ、ゴイサギを観察することができます。高速道路会社と野鳥の会愛知県支部の方々が協力して、保全に取り組んでくれています。興味のある人は、野鳥の会愛知県支部に連絡をしてみてください、野鳥の会で月に1回調査(5月から8月まで)を行っていますので、これに参加すれば、サギについての知識や、安全な観察場所も教えてもらえます。NHKの『ダーウィンが来た』でも放送されていますが、なにせ5000羽ものサギがいるので、近所には糞などで迷惑に感じる方々もいます。難しい問題です。また、チュウサギは渡り鳥で、春から夏にかけて日本で卵を産んでヒナが生まれますが、秋から冬にかけて東南アジアに渡っていきます。このような渡りをする鳥を保全しようとすると、日本の生息地も守る必要がありますし、渡っていった先の生息地も守る必要があります。これもなかなか難しい問題です。

もう少し暑くなってくると、サギソウも咲いてきます。まさに白いサギが飛んでいるようなきれいな花が咲きます。こちらも準絶滅危惧種です。この地域で、ジメジメした湿った場所があれば見つかるかもしれませんが、決して違法採取しないでください。こちらも自生地が続々と減少しています。このまま2030年がやってくると、SDGsに関しても達成できたのは「ゼロ」でした、と、なりそうで心配です。

ちなみに写真は、ジャングルのようですがインターチェンジで営巣するサギです。

5月31日

2021年06月01日
 

5月31日は、三重大学記念日です。三重大学は、1949年5月31日に、新制三重大学として発足しました。1945年から1952年まで続く連合国軍占領下の学制改革によって、生まれました。ちなみに近年とみに評判の悪いPTAも同じころに生まれました。新制大学は、アメリカの大学制度を参考に作られました。吉見俊哉『大学とは何か』岩波新書(2011)によると、シカゴ大学型モデルとハーバード大学型モデルで争われたようです。そして、採用されたのはハーバード大学型モデルで、新しい一般教養教育の組織化を目指しています。そして、そもそもアメリカの大学制度が、何に基づいていたのかという話は、中山茂『大学とアメリカ社会』朝日選書(1994)を読んでみてください。今紹介した両方の本に書いてありますが、大学院というのがアメリカの発明だというのも、大変興味深いです。僕の記憶違いかもしれず、ちょっと自信がないのですが、映画『プリティ・ウーマン』(1990)で、最後に娼婦の主人公が、自分が立ち直るために大学院に行くと言っていたのを思い出します。大学じゃなくて、大学院なんだと驚いた記憶があります。この機会に、もっと大学について勉強してみようと思ったら、さらに苅谷剛彦『アメリカの大学・ニッポンの大学』、『イギリスの大学・ニッポンの大学』中公新書ラクレ(2012)も読んでみてください。筆者の体験談なので、一層面白く読めます。

学校のモデルということであれば、日本の自動車学校は、イギリスの自動車学校をモデルに作られたのではないかと思っています。どうして日本の自動車が左側通行なのかは、諸説ありますが、イギリスを参考にしたのではないかというのは有力な説の1つです。僕は実はイギリスで自動車学校に通っています。外国で運転免許をとるのは簡単というイメージがあるかもしれませんが、イギリスではなかなか大変です。一発試験もあるのですが、その申込書に自動車学校コードを書くところがあったりして、なかなか自動車学校に通わないと免許が取れない仕組みになっています。日本と違って、自動車学校の敷地というようなものはなく、昼間の人通りの少ない住宅地などで、練習することになります。一番衝撃だったのは、そこを右に曲がってと教官が指示するので、機械的に方向指示器を出して、右折したところ、教官に車を止めるように言われたことです。教官は、「お前安全確認して右折したか?」というので、「もちろん」と答えたところ、「人や車が見えたか?」と追い打ちをかけられました。「いや、見えなかったから安全と思って右折したんだけど」と言うと、「じゃあ誰に対して、方向指示器を出したんだ」と言われちゃいました。教官いわく「方向指示器は、他の人や車に合図するために出すもんだろ!人も車もいないのに、方向指示器を出す必要はない。機械的にサインを出すのは、ちゃんと目で見て、確認していない証拠だ」とのことでした。これは、日本的な考え方とは、全然違うと驚きました。新入生の皆さんで、まだこれから自動車学校に行く人もいると思いますが、このイギリスの自動車学校の教訓は生かさないで、どんな時でも方向指示器出してください。最後の運転免許の試験は、試験をしてくれるところまで教官の車で教官の運転で行って、その車で受験することになります。そしてそこで合格すると、その車をもう運転して帰っていいんです。これも衝撃でした。

ちなみに写真は、フランスの小学生のポニーの面倒をみる職場体験の様子です。

三重大学

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