アメリカ大統領選の報道が、かまびすしい。アメリカの政治状況について、ほとんど知識がないのだが、30年くらい前に読んだマシーンの話をよく覚えている。ロバート・キャンベル『ごみ溜めの犬』(1988)は、ハードボイルド小説で、民主党の集票組織であるマシーンシカゴ27区の地区班長が主人公(のシリーズもの)である。地区班長は、受け持ち地区の住民へ、いろいろ便宜を図り、自分の政党(民主党)へ投票をお願いする役割を持っている。アメリカはドライな国かと思っていたのだが、こんな浪花節・義理人情の世界があるのかというところが驚きだった。19世紀後期から20世紀前期のアメリカの大都市には、ほとんどマシーンがあったらしい。この時代にアメリカは急速に工業化と都市化が進み、多くの移民が都市に流入した。これらの新住民は、当然その地域コミュニティになじむための財産や情報を持っていなかった。これを補ってくれたのがマシーンであったらしい。これから日本でも、地域コミュニティをどうしていくのか、またそれに大学がどうかかわるべきかも問題となるので、一つの参考例になると思う。アメリカのマシーン政治については数多くの研究があるようなので、興味がある方はぜひ勉強してみてほしい。
この『ごみ溜めの犬』を書いたロバート・キャンベルは、『LA-LA Land』シリーズも書いている。これは読んだことはないのだが、タイトルを聞いて、これってもしかしてあの有名なミュージカル映画『ラ・ラ・ランド』(2016)の原作なのか?と思ってしまった。これは全然違うようだ。そもそもラ・ラ・ランドには、ロスアンジェルスと、発音から来ている「現実離れした世界」という2つの意味がある。この映画も、ロバート・キャンベルの小説も、この両方の意味を暗示(明示か?)している。
ミュージカル映画『ラ・ラ・ランド』は、第89回アカデミー賞において史上最多14ノミネート(13部門)で、監督賞、主演女優賞、撮影賞、作曲賞 、歌曲賞、美術賞の6部門を受賞した名作である。ただ、この映画が深く印象に残ったかと言えば、それほどでもない。それよりもこの映画の監督デイミアン・チャゼルがこの映画の前に作った『セッション』(2014)が強烈だった。世界的ジャズ・ドラマ―を目指し、名門音楽学校に入学した学生を鬼教師がしごく話だ。ともかく無茶苦茶罵詈雑言で、見ていて辛くて辛くて、こんなにする必要があるのか?という憤りが出てくる映画で、見終わった後にどっと疲れる。ともかくずっと緊迫感のある映画で、これがヒットしたおかげで、この監督は『ラ・ラ・ランド』を撮ることができたそうだ。
この『セッション』の法科大学院版が映画『ペーパーチェイス』(1973)と言われている。ハーバード法科大学院に通う学生と鬼教授の話である。映画の年代の違いか、監督の考えの違いか、僕にはこちらの映画の方が好ましい。日本で法科大学院ができたのは、2004年だが、米国ではすくなくとも100年以上の歴史のあるシステムである。日本の法科大学院は、おそらくこの米国のロー・スクールを真似ている。米国では、大学レベルでは、法学部や医学部は存在せず、一般の学部を卒業してから、大学院レベルのロー・スクールやメディカル・スクールに進学することになる。米国の大学生はよく勉強すると言われるが、実は大学院入試が大変厳しく、ちょうど日本の高校の勉強と大学入試の関係のように思われる。さらに、『ペーパーチェイス』や、小説『殺人はロー・スクールで』(1990)を見ると、法科大学院でも成績至上主義で、成績が良くないとろくな法律事務所に入れないらしいことがわかる。
ともかく地域コミュニティや、そして世界の教育システムなどにも興味を持ってみてください。
ちなみに、写真は見ての通りメリーゴーランド。マシーン(machine)の一種ではないかということで。