5月31日は、三重大学記念日です。三重大学は、1949年5月31日に、新制三重大学として発足しました。1945年から1952年まで続く連合国軍占領下の学制改革によって、生まれました。ちなみに近年とみに評判の悪いPTAも同じころに生まれました。新制大学は、アメリカの大学制度を参考に作られました。吉見俊哉『大学とは何か』岩波新書(2011)によると、シカゴ大学型モデルとハーバード大学型モデルで争われたようです。そして、採用されたのはハーバード大学型モデルで、新しい一般教養教育の組織化を目指しています。そして、そもそもアメリカの大学制度が、何に基づいていたのかという話は、中山茂『大学とアメリカ社会』朝日選書(1994)を読んでみてください。今紹介した両方の本に書いてありますが、大学院というのがアメリカの発明だというのも、大変興味深いです。僕の記憶違いかもしれず、ちょっと自信がないのですが、映画『プリティ・ウーマン』(1990)で、最後に娼婦の主人公が、自分が立ち直るために大学院に行くと言っていたのを思い出します。大学じゃなくて、大学院なんだと驚いた記憶があります。この機会に、もっと大学について勉強してみようと思ったら、さらに苅谷剛彦『アメリカの大学・ニッポンの大学』、『イギリスの大学・ニッポンの大学』中公新書ラクレ(2012)も読んでみてください。筆者の体験談なので、一層面白く読めます。
学校のモデルということであれば、日本の自動車学校は、イギリスの自動車学校をモデルに作られたのではないかと思っています。どうして日本の自動車が左側通行なのかは、諸説ありますが、イギリスを参考にしたのではないかというのは有力な説の1つです。僕は実はイギリスで自動車学校に通っています。外国で運転免許をとるのは簡単というイメージがあるかもしれませんが、イギリスではなかなか大変です。一発試験もあるのですが、その申込書に自動車学校コードを書くところがあったりして、なかなか自動車学校に通わないと免許が取れない仕組みになっています。日本と違って、自動車学校の敷地というようなものはなく、昼間の人通りの少ない住宅地などで、練習することになります。一番衝撃だったのは、そこを右に曲がってと教官が指示するので、機械的に方向指示器を出して、右折したところ、教官に車を止めるように言われたことです。教官は、「お前安全確認して右折したか?」というので、「もちろん」と答えたところ、「人や車が見えたか?」と追い打ちをかけられました。「いや、見えなかったから安全と思って右折したんだけど」と言うと、「じゃあ誰に対して、方向指示器を出したんだ」と言われちゃいました。教官いわく「方向指示器は、他の人や車に合図するために出すもんだろ!人も車もいないのに、方向指示器を出す必要はない。機械的にサインを出すのは、ちゃんと目で見て、確認していない証拠だ」とのことでした。これは、日本的な考え方とは、全然違うと驚きました。新入生の皆さんで、まだこれから自動車学校に行く人もいると思いますが、このイギリスの自動車学校の教訓は生かさないで、どんな時でも方向指示器出してください。最後の運転免許の試験は、試験をしてくれるところまで教官の車で教官の運転で行って、その車で受験することになります。そしてそこで合格すると、その車をもう運転して帰っていいんです。これも衝撃でした。
ちなみに写真は、フランスの小学生のポニーの面倒をみる職場体験の様子です。