三重大学 教養教育機構 機構長だより
2016年6月 記事一覧

ふたたび石段を登る

前にここで「石段を登る」という話を書きました。先日、高松に行ったときに、性懲りもなく、また石段を登りに行ってきました。「こんぴらさん」の愛称で親しまれている金刀比羅宮(ことひらぐう)は、海の神様と言われているのに、高松から電車で1時間ほどもかかる内陸の山の上にあり、本宮まで785段、奥社までは1368段の階段を登らなければなりません。

若い時に一度、当時高松にいた友人に連れて来てもらったことがあります。しかし、ただ階段が多くてしんどかったという記憶しか残っていません。あれから30以上年をとった今、到底一挙に登ることはできないだろう、と最初からあきらめて、一段一段味わって登ることにしました。

いろいろな店が立ち並び、備前焼の狛犬があったり、さまざまな人の銅像や歌碑があったり、ひとつひとつゆっくり眺めていくのはとても楽しいものでした。宝物館や美術館もありました。歌碑のひとつに、第21代宮司琴光重光さんの次のようなものがありました。

春うらら 磴道につづく 人波の 北の南の 国訛りかも

昔から全国津々浦々から参拝者があったのだろうと思います。そんな人たちの話声を耳にしながら登っていくのもいいものです。ただ、今聞こえてくるのは韓国語や中国語でした。そんな時代の移り変わりも見えてきます。

若い海外の人も多く、私を追い抜きながらどんどん登っていきます。私も昔はあのように登ったのだろうと思います。早く目標に辿り着きたいという気持ちはわからないでもありません。ただ、こう言ってはなんですが、上に行ったらお社に参拝して降りるだけです。行ってきたという達成感はあるでしょうが、若いころの私のようにあとで思い返してもろくに覚えていないということにならないでしょうか。

三重大学には5つの学部がありますが、将来の目標が比較的はっきりしている学部とそうではない学部があります。目指す社が決まっている学生たちは目標に向かって一心不乱に石段を登っているような感じがします。それ自体はよいのですが、それ以外に興味を示さず、途中をもっと楽しんだらどうなのだろうかと思うことがあります。一見無駄に見えてあとで大きな意味を持ってくることもあるでしょう。この「機構長だより」の「忘れられない授業」を読んでくださったある先生が「なぜか私が思い出すのは一般教育(教養教育)の授業なんです」とおっしゃっていました。私たちもそう言ってもらえるような授業をしなければなりませんが、途中にもいろいろおもしろいものがあるんだけどなあと言いたいのです。

写真はこんぴらさんに登る途中で見つけた花(オカタツナミソウ)です。こんなにきれいなのに私以外だれひとり気に留める人はいないようでした。ただ、この花の花言葉は「私の命を捧げます」だそうで、この花も一つの方向を向いて一心不乱のようです。