何のために学ぶのか
先日東京に行ったときに、葛飾区柴又の帝釈天と寅さん記念館を訪ねて、映画に必ず出てくる江戸川の土手を歩きました。「男はつらいよ寅次郎サラダ記念日」で寅さんと浪人中の甥の満男が次のような会話を交わしたのもここでした。
満男: 大学へ行くのは何のためかな。
寅さん: 決まっているでしょう。これは勉強するためです。
満男: じゃあ、何のために勉強するのかなあ。
寅さん: そういう難しいことを聞くなって言ったろう。つまり、あれだよ、ほら、人間長い間生きていりゃあ、いろいろなことにぶつかるだろう、な。その時に、オレみたいに勉強してない奴は、この振ったサイコロの出た目で決めるとか、その時の気分で決めるしかしょうがない、な。ところが、勉強した奴は自分の頭できちーんと筋道を立てて、はて、こういう時はどうしたらいいのかと、考えることができるんだ。だからみんな大学へ行くんじゃないか。
ちなみに寅さんの最終学歴は中学校中退です。先日、今年のノーベル賞の発表がありましたが、おふたりのことばの中に寅さんと同じくらい感銘を受けたものがありました。
物理学賞を受賞した梶田隆章さんは「この研究は何かすぐ役に立つものではないが、人類の知の地平線を拡大するものだ。研究者の好奇心に従ってやっている。」とおっしゃっていました。医学生理学賞を受賞した大村智さんは定時制高校の先生をされていて、工場が終わって手に油をつけたまま通ってくる生徒たちを見て、自分ももっと勉強しようと思われたそうです。
三重大学には市民開放授業という制度があり、私はできる限り開放しています。今年度後期の異文化理解(ドイツ語)という科目には4名も来てくださっています。ほとんどの方はただ勉強したいからという理由で履修されているようです。次々に意識を失う学生たちの横で、熱心に耳を傾け、メモをとり、時には答えに詰まるような質問もしてくださいます。
文部科学省は6月、国立大学の教員養成系学部、人文社会科学系学部に「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう」要請し、あちこちで議論を巻き起こしています。この裏には、すぐに役立たない学問はいらないという文部科学省にとどまらない社会の本音があるように思えてなりません。
正直に申し上げると、私にはニュートリノが何なのか、どうしてその研究が必要なのかさっぱりわかりません。でも、何かの役に立つから勉強するというのではなく、ただ学びたいから学ぶ、それが大学での学問の本来の姿だったのではないか、私は熱心な市民の方々の姿を見てそう思うのです。ノーベル賞のおふたりはその結果として「自分の頭できちーんと筋道を立てて」考え、受賞に結びついたのだと思います。

三重大学 教養教育機構長
井口 靖
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