三重大学 教養教育機構 機構長だより
2018年3月 記事一覧

シェフィールドにて⑤:ストライキ、そして最後に

 今回学生をシェフィールドの短期海外研修に送り出すに当たって少々心配がありました。それはイギリスの国立大学の教員がストライキに入るというニュースが入ってきたからです。

 日本ではほとんど報道されていませんので、BBCのニュースを見てみました。オックスフォードやケンブリッジを含む50以上の大学でストライキを始めるとのことで、シェフィールド大学からの連絡でも、参加する教員がいると授業に影響があるだろうとのことでした。問題となっているのは年金の切り下げで、教員組合によると、平均的な教員で年間1万ポンド(約150万円)切り下げられるとのことです。日本と同様にイギリスも年金で大幅な赤字を抱えているようです。学生たちも高い授業料を払っているらしく、授業がなくなるのならその分返金せよと言っているそうです。

 実際シェフィールド大学に行って見るとイギリスの学生たちはふつうに大学に出てきているように見えましたが、教員らしき人が数名立て看板の周りに集まっている姿も見受けられました。私たちの学生の研修先の英語教育センターでも休講になった授業がいくつかあったようです。休講になったクラスの学生からは不満の声も聞かれました。それはもっともなことですが、せっかくの機会ですから、なぜストライキになってしまったのか、それをイギリスの学生や市民がどう捉えているのか、など調べてみてもよかったかもしれません。それによってイギリスの経済事情や大学教員の制度や待遇を垣間見ることができたことでしょう。

 ストライキの良し悪し、特に教員がストライキをすることについてはいろいろ問題があると思いますが、そのような動きがあまりに少ない日本はこれでいいのだろうかと思うことがあります。教員の待遇は置いておくとしても、大学が政府や文科省に言われるがままというのはどうなのでしょう。大学として国から少しでも多くお金をもらおうと思ったら国の方針に沿った事業をせざるを得ません。それは国民の税金ですから当たり前と言えば当たり前のことですが、本当にそれが国民のためになるかどうかは本来行政ではなく、大学が考えるべきことではないでしょうか。それこそが大学の使命ではないでしょうか。

 私はこの14年間大学の管理職とされる立場にありました。ただ、あまり管理職らしくなく、大学や学長の方針に逆らうことを言ったり、したりしてきました。それができたのは民間の管理職とは異なり、私のような部局長はその部局の教員から選ばれるからです。でも実はこれはなかなか難しい立場で、大学の運営も考えながら、部局も守らなければなりません。常にジレンマです。それは大学にとっても同じで、国の方針に逆らってお金がもらえないとするとそのしわ寄せは大学の教員や学生にやってきます。でもお金だけの問題ではないはずです。

 これをもって3年間の「機構長だより」を終えることにします。「『機構長だより』読んでます!」とこれまで支えてくださった方々に心よりお礼申し上げます。ここで私たちの教養教育を紹介することは、私の戦いのひとつでした。現在はすぐ具体的成果を求められます。しかし、教育の成果というのはすぐに出てくるものではありません。特に教養教育となると、学生が社会に出て、それも何年かたって出てくるかもしれないし、出てこないかもしれない、そんなものです。でも私たちは今やっている教養教育に絶対的な自信を持っています。そして、全力でそれに取り組んでいます。ただそんな私たちの努力さえ疎ましく思われることもあるようです。ひとりでも多くの学内外の方に私たちのカリキュラムと努力を理解していただくため、とにかく読んでいただける「機構長だより」を目指しました。管理職を離れたことでもあるし、今回ちょっとだけその本音を出してしまいました。最後まで読んでいただきありがとうございました。

 きっとストライキを決めたイギリスの教員たちも苦渋の決断であったろうと思います。なにしろイギリスはピューリタン革命や名誉革命などを通して、市民が自らの手で民主主義を勝ち取った国です。そう簡単にお上の言いなりにはならないのでしょう。学生を巻き込んだストライキの良し悪しは別にしても、その反骨精神は羨ましくもあります。そのようなことも学ぶ教養教育であってほしいと願っています。

シェフィールドにて④:puddingの文化

 英語も難敵でしたが、イギリスの文化もなかなか手ごわいものでした。そもそも私はイギリスの文化を何も知らないということを思い知らされました。

 イギリス人はpuddingが大好きみたいで、いたるところで出て来ます。英和辞典を引いてみると「小麦粉などに牛乳・砂糖・卵などを混ぜて焼いた[蒸した]温かい菓子」(『ジーニアス英和辞典』小学館)と書いてあります。夕食後友人が注文したbrandy and pistachio pudding(ブランディとピスタチオのプディング)というのはパンを蒸したのに甘いソースがかかっているようなものでしたが、別の日に食べたYorkshire pudding(ヨークシャ地方のプディング)というのはシュークリームの皮(のおばけ)みたいなものでした。それらはまだデザートだからわかるのですが、毎回朝食に出たroasted beans and black pudding(炒めた豆とブラックプディング)に至っては豆の姿しか見えません。black puddingというのはソーセージのようなものらしいのですが、何回探しても、そのかけらさえもありません。

 イギリス文学と言えば、私はディケンズの「クリスマス・キャロル」が大好きなのですが、その中でpuddingは森田草平訳(青空文庫、底本は1938年)では「肉饅頭」として出てきます。今ではChristmas puddingで検索すると写真や作り方が簡単に出てきますが、当時は相当苦労したのでしょう。

 クラチット夫人は這入って来た――真赧になって、が、得意気ににこにこ笑いながら
 ――火の点いた四半パイントの半分のブランディでぽっぽと燃え立っている、そして、
 その頂辺には聖降誕祭の柊を突き刺して飾り立てた、斑入りの砲弾のように、いかに
 も硬くかつしっかりした肉饅頭を持って這入って来た。

 正直これではあんまり食べる気がしません。私も長年外国語に携わって来たので、少しは異文化に理解があると思っていたのですが、私の知識の範囲は極めて限られたものだったことに気づきました。学生たちも3週間という短い期間なのでイギリス文化に触れるのもその一部でしかないと思いますが、自分たちとは異なった文化があり、世界は多様だと認識することが出発点だろうと思います。

 ホテルも3日目ともなると、言われそうなことが予測できるようになって朝食もスムーズに注文できるようになったのですが、最後までイギリスの味だけには慣れませんでした。スーパーでサンドイッチを買って食べたら、日本のコンビニのサンドイッチが妙に懐かしくなりました。ただ、学生たちのブログを見るとホストファミリーの食事はおいしいと書いてあります。

 毎朝出てくるroasted beans and black puddingですが、ウェイターに「黒いプリンってどこにあるの」とは最後まで聞けませんでした。

シェフィールドにて③:タクシードライバーの英語論

 シェフィールド大学での学生の短期海外研修の視察から帰る日、ホテルにタクシーを呼んでもらったら、その運転手がケニアから来たという人でした。
「あんた、中国人かい」
「いや、日本人だけど」
「そうかい、英語はできるのか」
「まあ、少しなら」
「英語は慣れだ、しゃべり続けなければいけない」
ことば通り、彼は渋滞した車の間を器用にかいくぐりながらしゃべり続けました。

 実はシェフィールドに来てから英語については少々落ち込んでしまいました。まず、ホテルの朝食でcoffee or teaから聞き取れなかったのです。それは、学校で習ったアメリカ英語やBBCの英語とはまったく異なる響きを持ったものでした。簡単な内容を何度も聞き直す自分が情けなくなりました。

 ドイツでも方言はひどいのですが、ふつうは外国人とみると「Schriftdeutsch(書きことばドイツ語)は疲れるなあ」と言いながら、標準語でしゃべってくれます。「書きことばドイツ語」というのは学校で学ぶ書くためのドイツ語です。ドイツは昔小国に別れていたということもあり、それぞれの国のことばが今も日常のドイツ語です。

 16世紀、宗教改革の一環としてルターは聖書のドイツ語訳を試みます。当時、聖書はヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語などでしか読めず、一般民衆は聖職者が言うことを信じるしかなかったのです。「改ざん」も可能だったということでしょうか。場合によっては「よく調べたら書いてありました」とか言ったのでしょうか。ルターは一般民衆が直接聖書を読めることが最も重要な宗教改革だと思ったのでしょう。ただ、ルターは多様なドイツ語に悩んだことと思います。なるべく多くの地域の人がわかるドイツ語で聖書を書いたということでそれが今の標準ドイツ語、すなわち「書きことばドイツ語」の基礎になったと言われています。多様性と共通性は相反するもので、そのバランスが難しいところです。

 あらためて考えたら、ドイツ語も英語も元はお互い方言でした。そもそも方言と言語の境はなくて、たまたまその国のことばになった方言が言語というだけです。たとえばオランダ語は北部ドイツ語方言とたいして変わらないと言われています。英語もそれぞれの方言がそれぞれの地域の言語なのでしょう。ただ問題はその差が激しくなると通じなくなるということです。

 それで、例のケニア人のタクシードライバーですが、まだしゃべり続けていて、
「あんた、先生かい?」と聞くので
「ああ、ドイツ語を教えている」と答えたら
「そうかい、あんたは日本語もドイツ語もしゃべれるとは賢いんだね」
と言われてしまい、赤面しました。いや、スワヒリ語が母語で、英語で仕事をしているあんたの方がずっと賢いと思うよ。

 イギリス滞在の最後に日本語とスワヒリ語の間を英語が埋めてくれて、皮肉なことにイギリスに来たという実感がしました。

シェフィールドにて②:学生と市民(続き)

 先回はシェフィールドに行って、学生と市民のことについて考えたことを書きました。今回はその続きで、厳密には日本に帰ってから考えたことです。

 出張で九州大学に行って来ました。少し時間の余裕があったので、途中、西南学院大学に立ち寄って、博物館を見せていただきました。創始者の名前をとって「ドージャー記念館」と呼ばれる建物は明治の趣を残す素晴らしいものでした。ここを訪れる市民の姿もちらほら見られました。キリスト教関係の展示を見た後、すぐ横の食堂で昼食を取らせてもらうことにしました。生姜焼肉に揚げ出し豆腐がついた和定食が440円で、美味しくいただきました。春休みのせいもあって学生の姿は少なかったのですが、印象的だったのは年配のご夫婦や子供を連れた若いお母さんなどが自然に食事をしている様子でした。学生服姿の高校生もいました。

 大学は市内の住宅街の中にあります。この食堂は門から入ったすぐの所にあり、おしゃれなカフェという感じです(写真)。入り口には「営業中」と書かれていて、学生は学生証を示すと3%引きだと書かれてありました。つまり、市民の利用を前提として作られ、運用されていることがわかります。カフェテリア方式なので最初はちょっと戸惑いますが、あちこちに必要な指示は書いてありましたし、給仕の方も親切でした。私が近くに住んでいたら毎日でもここでお昼をいただきたいところです。

 西南学院大学を後にして、九州大学に向かいました。電車とバスを乗り継いで中心部から約1時間のところに広大なキャンパスがあります。近代的で大きな建物がいくつも建っていて、さすがスケールが違うと思い知らされます。ただ、社会から完全に隔離されていて、砦か修道院のような感じもしました。その方が集中して勉強できるのかもしれませんが、いずれ社会に出て行く学生たちはやはり市民とともに生活する方がいいような気がします。

 本学は九州大学ほど孤立していませんが、市民の方が気軽に入ってくるという雰囲気でもありません。教養教育ではできるだけ授業を市民開放にするようにしています。まずは市民の方に授業に参加してもらうところから始めたいと思っているのです。熱心に授業を受け、食堂でご飯を食べて、図書館で勉強をする市民の姿があれば、それは学生に少なからず影響を及ぼすものと思います。学生たちは特に教養教育の授業は何のためにやるのかわからないと思っているふしがあります。でもわざわざ市民の方が授業に来られて、しかも一生懸命取り組んでいる姿を見るとその意義を感じてくれるのではないかとも思います。

 市民の方の中には庭で作ったのでと野菜や花を持ってきてくださる方や、部屋に立ち寄られて世間話をして帰られる方もあります。私たちも社会から孤立しないですみます。

シェフィールドにて①:学生と市民

 この3月で教養教育機構長の任期が終了しました。この「機構長だより」も終了しますが、これまでの記事は残してもらえることになりました。これもみなさま方の暖かいご支援のおかげです。先日イギリスのシェフィールドに行ってきたので、そこで考えたことを何回かに書き残して、最後のご挨拶とさせていただきたいと思います。

 318日、学生57名がイギリスシェフィールド大学での3週間の海外研修を終えて無事戻ってきました。期間中、私もシェフィールドに伺って、授業参観をし、学生たちがお世話になっている英語教育センター長にご挨拶して来ました。

 シェフィールドで宿泊したホテルは大学が保有する風格のある古い建物で、木々に囲まれ、とてもいいところでした。まわりにはたくさんの近代的な建物がありましたが、みんな学生寮だとのことです(写真)。

 大学自体は街の中心部にあるのですが、ヨーロッパの古い大学らしく街中にいろいろな大学の施設が点在しています。お昼休みになると学生たちがぞろぞろ街中に出てきます。大学の食堂やカフェもありますが、民間のものもたくさんあって、学生割引の表示があるところもあります。学生組合の選挙でもあるのでしょうか、路面電車の停留所にVote 〇〇!のような手書きの張り紙があったりします。

 このところ日本では、本学のような地方大学は地域連携が重要だとされます。というより、大学の「ミッション」そのものになっています。国立大学は国民の税金で成り立っている以上地方の活性化に貢献するのは当たり前だと言われると否定のしようもありません。でも私は一部の学生を街に引き摺り出して、一時的に地域のためと何かさせることにいささか違和感を覚えます。それよりも学生たちが市民と共に生活し、勉強することが最も街を活気づけるような気がします。

 本学からシェフィールドに行った学生たちは全員ホームステイをします。これまでの3回の研修でホームステイ先と大きなトラブルになったということは耳にしていません。今回もホストファミリーの方々にはたいへんお世話になり、シェフィールドに到着するのが遅れても出迎えに来てくださり、雪のために出発が前夜に繰り上がったときも快く対応していただいたようです。毎回学生の満足度は極めて高く、シェフィールド滞在中の学生のブログを読んでも、ホストファミリーから心のこもったもてなしを受けていることがわかります。

https://www.ars.mie-u.ac.jp/BLOG/overseas/

 逆にホストファミリーから学生たちを世話してよかったと思われるようにしないといけないと思います。そして、日本や三重のこともたくさん話をしてほしいものです。それが三重だけではなく、シェフィールドへの地域貢献にもつながることでしょう。(続く)

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三重大学 教養教育機構長
井口 靖 

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