石段を登る
お隣の県ですが、琵琶湖の周りには古い素敵なお寺がいくつもあります。た
だ、なぜか山の上にあることが多く、お参りするには何百段も石段を登らなけ
ればなりません。そのひとつ桑實寺(くわのみでら)について白洲正子が「こ
こも石段の美しい寺で、その石段のまわりには梅がたくさん植わっていた」
(『かくれ里』新潮社)と書いていたので、つい出来心で登り始めました。
確かに石段は美しかったのですが、いくら登っても本堂は見えません。だんだ
ん後悔してきましたが、白洲正子に負けてたまるかとがんばっていると、上か
ら降りてくる人がいて、その人はにこっと笑って「もう少しですよ」と言われたので、よし、と思って登るのです
が、ちっとも終わりにならない。あのやろうめ、だまされた!と恨みながらも、しかたがないので、最後はただひ
たすらに登りました。
やっとのことで本堂に着いたらそれまでの苦労も恨みも忘れ、すがすがしい思いだけが残りました。こうやって必
死に登らせてそんな気持ちにさせる、そのためにこんなところにお寺を作ったのかもしれません。人を恨みながら
お参りしてはだめでしょうから。
『ことばの意味 辞書に書いてないこと』(柴田武他著;平凡社)という本に「アガル」と「ノボル」の違いにつ
いて書いてあったのですが、「アガル」は「到着点に焦点を合わせる」のに対して、「ノボル」は「経路に焦点を
合わせる」とのことです。確かに「二階に上がる」はいいでしょうが、ふつうは「富士山に上がる」とは言いませ
ん。富士山は「登る」ものでしょう。「ノボル」では経路が重要だということは、「石段を上がる」というより
は、「石段を登る」方がふつうであることからもわかります。単にお寺のあるところへ「上がる」ことより、一歩
一歩「石段を登る」ことこそ重要なのかもしれません。
この機構長だよりでも何度か紹介してきた、新書を読んで書評を書くという「教養ワークショップ」の授業が先日
ようやく終わり、約1300の書評ができあがりました。しかし、私たちは、単に新書を読んで書評を書いたらよい
ということではなく、その途中の段階を重視してきました。読んだらそれをまとめる、そして他人と議論する。文
章を書いたら何度も読み直し、手を入れる。そして、それを他の人にも読んでもらい、意見をもらう。そうするこ
とにより読みが深まり、そうすることによって文章は洗練されていくものだということをわかってほしかったので
す。学生たちにとっては毎週石段をふうふう登るようなものだったにちがいありません。手前味噌で恐縮なのです
が、そうやってできあがった書評は私たちが予想していた以上のものでした。ひとつひとつ確実に石段を「登っ
て」行った結果、思った以上に高いところに「上がって」いたということだろうと思っています。
桑實寺でお参りをすませ、さわやかな気持ちで石段を下りていると、杖をついてふうふう言って登ってくる人がい
たので、にこっと笑って「がんばってください。あと少しですよ。」と言っておきました。

三重大学 教養教育機構長
井口 靖
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