見る目
まずは写真をご覧ください。一瞬ギョッとしましたか。ウラシマソウというのだそうです。ヒゲのようなものが釣竿をイメージさせているようです。これに似ていてヒゲのないものはマムシグサと呼ばれていて、その名のとおり、林の中にニョキッと立っていると一瞬足がすくみます。
植物マニアでもない限りこんなものに興味は持たないでしょうし、そもそも目にしたこともないでしょう。私もン十年生きてきて、1年前初めてこれを見ました。でも、最近、あちこちで見かけるようになり、何度か通ったはずの場所にたくさんあるのを見つけました。この植物がだんだんその生育地域を拡大しているのでしょうか。まさか、そうではないでしょう。
散歩で見かけた植物の名前を知りたいと思って図鑑で調べるようになりました。図鑑をめくるうちに、へえこんな植物もあるのか、一度見てみたいと思ったりします。そんなことを繰り返しているうちに、突然、見たかった植物が目の前に現れるのです。いや、その植物はいつも私の近くにあったのでしょう。ただ、私にはそれが見えなかったのです。
私たちは周りのものがすべて「見えている」と思っています。「見えている」のかもしれないが、本当の意味で「見ている」のではないのかも しれない。ことばの上では「あるものが見える」に対して「(自分が)あるものを見る」です。つまり「見る」は主体的な行為なのです。植物のそれぞれの名前を知ることは「見る目」を持つことです。それにより、一面ただの「雑草」だったものが、ひとつひとつ別の草花として現れてきます。
ただのせまい道が歴史を知ると「街道」になる。ただの石が、土器のかけらであったり、化石であったりする。雑音だったものが音楽になる。外国語もそうかもしれません。単なる音の羅列が意味を持ってくる。より深く知ることにより、いろいろなことを見る目や聞く耳が生まれてくる。そして、それにより生活、人生が豊かになる。そう考えると、そのような目や耳をたくさんもつことが「教養」の始まりかもしれないと思うのです。
私は近ごろマムシグサたちを見かけるとちょっといとおしくなります。

三重大学 教養教育機構長
井口 靖
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