シェフィールドにて③:タクシードライバーの英語論
シェフィールド大学での学生の短期海外研修の視察から帰る日、ホテルにタクシーを呼んでもらったら、その運転手がケニアから来たという人でした。
「あんた、中国人かい」
「いや、日本人だけど」
「そうかい、英語はできるのか」
「まあ、少しなら」
「英語は慣れだ、しゃべり続けなければいけない」
ことば通り、彼は渋滞した車の間を器用にかいくぐりながらしゃべり続けました。
実はシェフィールドに来てから英語については少々落ち込んでしまいました。まず、ホテルの朝食でcoffee or teaから聞き取れなかったのです。それは、学校で習ったアメリカ英語やBBCの英語とはまったく異なる響きを持ったものでした。簡単な内容を何度も聞き直す自分が情けなくなりました。
ドイツでも方言はひどいのですが、ふつうは外国人とみると「Schriftdeutsch(書きことばドイツ語)は疲れるなあ」と言いながら、標準語でしゃべってくれます。「書きことばドイツ語」というのは学校で学ぶ書くためのドイツ語です。ドイツは昔小国に別れていたということもあり、それぞれの国のことばが今も日常のドイツ語です。
16世紀、宗教改革の一環としてルターは聖書のドイツ語訳を試みます。当時、聖書はヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語などでしか読めず、一般民衆は聖職者が言うことを信じるしかなかったのです。「改ざん」も可能だったということでしょうか。場合によっては「よく調べたら書いてありました」とか言ったのでしょうか。ルターは一般民衆が直接聖書を読めることが最も重要な宗教改革だと思ったのでしょう。ただ、ルターは多様なドイツ語に悩んだことと思います。なるべく多くの地域の人がわかるドイツ語で聖書を書いたということでそれが今の標準ドイツ語、すなわち「書きことばドイツ語」の基礎になったと言われています。多様性と共通性は相反するもので、そのバランスが難しいところです。
あらためて考えたら、ドイツ語も英語も元はお互い方言でした。そもそも方言と言語の境はなくて、たまたまその国のことばになった方言が言語というだけです。たとえばオランダ語は北部ドイツ語方言とたいして変わらないと言われています。英語もそれぞれの方言がそれぞれの地域の言語なのでしょう。ただ問題はその差が激しくなると通じなくなるということです。
それで、例のケニア人のタクシードライバーですが、まだしゃべり続けていて、
「あんた、先生かい?」と聞くので
「ああ、ドイツ語を教えている」と答えたら
「そうかい、あんたは日本語もドイツ語もしゃべれるとは賢いんだね」
と言われてしまい、赤面しました。いや、スワヒリ語が母語で、英語で仕事をしているあんたの方がずっと賢いと思うよ。
イギリス滞在の最後に日本語とスワヒリ語の間を英語が埋めてくれて、皮肉なことにイギリスに来たという実感がしました。

三重大学 教養教育機構長
井口 靖
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