たからもの
先日本屋に立ち寄ったら、前から読みたいと思っていた本が置いてありました。手にとって開いたとき、その表紙の感触が快く、帰り道は本を読むのが楽しみで、ちょっとだけしあわせな気分でした。
実は近頃本を買うのは控えています。すでに自宅の本棚はいっぱいで、定年を迎えたら、研究室においてある私費で買った本をすべて持ち帰らなければなりません。今それが大きな悩みです。蔵書をどうするかというのは結構多くの人の悩みのようで、それについての本がいくつも出ています。(その本を買うとまた蔵書が増えるわけですが。)
そこで、私は電子書籍があるものはできるだけそれを買うことにしています。専用のタブレットも買いました。これが結構便利で、ほしいものはいつでもダウンロードでき、何十冊も持ち歩くことができ、寝ながら読むときにも重くありません。字の大きさが自由に変えられるのも老眼にはありがたいことで、まぶしくもなく、疲れませんし、電気を消しても読むことができます。むつかしい語はすぐに辞書を引いてくれ、「あと何分でこの章を読み終えます」というおせっかいまでやってくれて、結構気に入っています。
だけど、です。本屋で厚い表紙の本を手にしてその重みを感じると、なんとも言いようのない思いがするのです。ときどき子供の絵本売り場ものぞくのですが、大きさも材質もさまざまです。子供は本を手にしたらまずその手触りを楽しむのではないでしょうか。本の情報は視覚だけではなく、触覚でもあるのでしょう。それは、メールではなく、直接会って人の話を聞くのと似ているような気がします。
さて、先日MIUという雑誌の取材を受けました。MIUというのは、三重大学の学生が編集している雑誌で、「広報誌編集実践」(キャリア教育領域)という授業の成果物ともなっているものです。今回は「学生目線で三重大の学部をアピールする」というテーマで部局長のインタビューを行っているとのことで、私のところにも学生が来てくれました。その質問の中に「教養教育機構のお宝を教えて下さい」というものがありました。
ちょっと困りました。教養教育機構にはたくさんの古い教室はあるのですが、古代の遺物や高価な機器など「お宝」などと呼べるものはありません。考えて、「少々キザですが、『人』と『意欲』です。」と答えました。それだけだと単に「キザ」で終わってしまいそうだったので、教養ワークショップで学生が書いたすべての書評を集めた本を2冊取り出しました。それぞれ約1300の書評が収録されています。担当教員と(望むらくは)学生の「意欲」の結晶です。
実は、この書評集、機構長室の小さな本棚の中でかなりの存在感を主張し、いささかやっかいものです。電子ファイルはあるし、もう作るのやめようかとも思っていました。でもこれを見せると取材の学生はびっくりしていましたし、つきそいの先生からは「将来、卒業生が自分の書いたものを見に来たら素敵ですね」と言われ、はっとしました。学生たちが選んだ新書はその当時の世相や学生心理を反映しているように見えますし、それを読んで当時の自分が何を考えていたかということをあとで読み返してみるのも意味があることかもしれません。
今、本学の1年生全員がおそらくは生涯で初めてとなる書評に取り組んでいます。いつまでその製本が続けられるかわかりませんが、この本が何十冊も溜まっていくとそれが教養教育機構の「お宝」になっていくのでしょう。そのずっしりとした本の重さは学生たちの努力の成果であり、ひょっとしたら、その重さが私たちの思いを後世に伝えてくれるのかもしれません。

三重大学 教養教育機構長
井口 靖
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