沈黙のコミュニケーション
先回は、コミュニケーションが苦手な学生に関するシンポジウムに出席した後、永平寺を訪れた話をしましたが、永平寺に着いたところで終わってしまっていました。
永平寺の門前はお蕎麦屋さんやおみやげ屋さんで賑わっていましたが、境内に入るとそこには緊張した静けさが漂っていました。お堂の間は廊下で繋がっていて、参拝者はそれらの中を歩いて巡ることができます。参拝者は最初の説明で、廊下は左側通行だと注意を受けます。なるほど途中で何度も急ぎ足の僧の方とすれ違いました。廊下には散り一つ落ちていません。庭でも「雲水」と呼ばれる若い修行僧たちが黙々と草取りや掃除などをしていました。食事のときも一切私語は厳禁だそうです。
沈黙の行を続ける雲水さんたちの横ではグループで来た観光客たちがわいわいと騒いでいます。厳しい修行をしているのにむっと来ることはないのだろうかと気の毒に思いました。私などは煩悩の塊なので、きれいな女性の参拝者が通ると心も乱れるのではないかと、不謹慎なことを思ったりもしました。
私はふと昔読んだ遠藤周作の「沈黙」という小説を思い出しました。江戸時代、鎖国でキリスト教が禁止されている日本にポルトガルから理想に燃えた宣教師ロドリゴがやってきます。彼は信仰を捨てたと伝えられる自分の師を許すことができません。しかし、現地では、拷問に苦しむ信者たちを前に、彼は神に救いを求めますが、神は沈黙を守ります。「主よ、あなたは何故、黙っておられるのです。あなたは何故いつも黙っておられるのですか。」そして、彼は苦しむ信者を見ることに耐えられず、自ら踏み絵に足をかけるのです。その時彼には聞こえます。「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。」
私はここを読み返すたびにこみ上げるものがあるのですが、考えると、ロドリゴはそれまで神の存在を疑うことさえしなかったのでしょう。それは現実から離れた教会という恵まれた世界でのことでした。遠く離れた異国の過酷な現実の中で彼は初めて神に向き合い、その中で彼は初めて神の声を聞くのです。これは信仰心の薄い人間の言うことにすぎないのかもしれませんが、そこで彼は初めて本当の信仰を知ったような気もするのです。他人を平気で傷つける狂信的な信仰は「妄信」としか言えないでしょう。
教養教育では1年次前期はスタートアップセミナーを受講します。4、5人のグループで課題を発見し、その解決法を探ります。先日、その授業の見学に行ってきました。その回は「クリティカル・シンキング」の授業でした。自分たちの検討している解決法が本当に適切なものかどうか自ら批判的に見てみようというものです。最初に教員が提示した全員共通の課題にはみんな適切な批判を加えていましたが、いざ自分たちの解決法に向き合うと、どう見直してよいものやら戸惑っているようでした。
自分を振り返らない人はいないと思いますが、人間は厳しい場面に直面した時に、本当の意味で自らに問いかけることを迫られるのかもしれません。永平寺の雲水さんたちも厳しい修行の中で仏と自らに問いかけているような気がします。永平寺があえてそこに参拝者を入れているのも、世間から乖離することなく自分を見つめるためなのかと勝手に思いました。修行を終えたあとはそれぞれのお寺で檀家の人たちを相手にすることになるのでしょうが、ここでのそんな修行が自信となるのでしょう。
真のコミュニケーション力というのは、口先だけの会話ではなく、真に自分と向き合ってこそ生まれるものだろうと思います。会議で日ごろ無口な人がある重要な局面で一言口に出しただけで、解決に向かうというようなことがあれば、それは究極のコミュニケーション力と言えそうな気がします。私のあこがれです。

三重大学 教養教育機構長
井口 靖
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