20年以上も前のことですが、当時オランダに住んでいた友人を数回訪ねたことがあります。今となっては、どの街だったのか記憶が定かではないのですが、彼女のドイツ人のパートナーが運河沿いの古い街並みを案内してくれました。その際、教会や古い建造物に書かれているラテン語をスラスラと読んで解説してくれたのがとても印象的で、もし彼が日本に遊びに来たら同じことができるのか、と考えると少し恥ずかしく、また情けなくなりました。彼は研究者ではなく、当時はヨーロッパ中を忙しく飛び回るビジネスマンでした。そんなヨーロッパでも、最近はラテン語やギリシャ語を中等教育で教えている学校は減る一方のようです。
三重大学の教養教育から西洋文化の古典語であるラテン語とギリシャ語が消えてしまって10年ほどになります。国立大学の法人化後、予算削減の煽りを受けて廃止することになりました。受講者も少なかったので反対できませんでした。しかし、地域文化を支える高等教育機関として本当にいいのだろうかと当時強く思いましたし、今でもそう思っています。
なお、ラテン語とギリシャ語に相当するこの国の言語は古典中国語ですが、異文化理解(他大学の第二外国語)として開講する選択肢もあるように思っています。グローバルな視点には、自分が生まれ育った文化やその基盤となる文化を知ることが不可欠です。そのことを悟るのは、多くの人の場合、国内外で自国の文化を紹介・説明する段になってからかもしれません。
さて、前出のドイツ人がラテン語がスラスラと読めることは外国語の技能であって、そのこと自体が教養かといえば、違うような気がしています。その技能を通して見えてくる世界を理解し、自分の知識として取り込むことによって、視野が広がり自分の進むべき道(キャリア)が分かるようになること、それが教養なのではないかと。三重大学の教養教育では、そのような意図で異文化理解としての第二外国語を提供しています。
本学では、学生による教育満足度調査を実施しており、例年、あれは役に立たない、これは必要ないといった意見が出ます。その中に異文化理解が含まれています。実際に使う機会もないのに、何故と思うのは当然のことかもしれません。しかし、目指しているのは上にも書いたように、その外国語を通して見えてくる新たな地平線です。
自分の意見を言うのはとても大切なことなので、是非意見を聞かせて欲しいと思います。一方で、自分の出した意見は必ずどこかに書き留めておいてください。10年後、いや、退職間近になった40年後にそれを読み返し、その時点でも同じことを思うのか、是非確かめてもらいたいと思います。
冒頭のオランダでの出来事と関連して、今でも鮮明に覚えているのは、当時毎年発行されていた高校の文集に掲載されていた同級生か先輩による漢文の作文です。その出来具合は分かりませんでしたが、それを見て漢文をもう少しきちんと勉強しておけばよかったと思いました。今からでも遅くないとは思っているのですが、なかなか時間が取れないと言い訳ばかりしています。学生には偉そうなことばかり言ってる癖に、、、。