いつ頃からか、大学生が自分達のことを「生徒」と呼ぶようになりました。そのうち、教育・就職関連産業の関係者が大学生を「生徒」と呼んでいることに気づきました。今では、大学教員ですら「生徒」と呼ぶのを耳にします。そこで少し考えてみることにしました。
考え方としては少なくとも2つあるように思います。先ずは、生徒であれ学生であれ、単なる呼称の問題にしかすぎないという考え方。もう一つは、単なる呼称の問題ではなく、大学生の本質に関わる問題であるというものです。
法律(学校教育法)上は、中等教育は生徒、高等教育は学生という区分がなされているので、大学生は学生である、とは言えます。しかし、法律上の呼称と俗称が異なるのはよくあること、などと片付けてしまうと、これ以上書くことがなくなってしまうので、名は体を表すという立場を取っておきます。ただし、「大学生(学生)が高校生(生徒)の意識のまま大学の教室や研究室にいるのであれば、さらに、そのことが呼び方に反映しているのだとすると、深刻な問題であるように思います。」といった単なる憶測に基づく議論ではなく、それなりに根拠のあることを書いておきます。
ある教科書の中に、学生に関して面白いことが書いてあります。"student"を「学生」と訳したことにより、本来の意味が失われてしまったのではないかというのです。英語では、例えば物理学を専攻する学生のことを"a student of physics"と表現します。名詞"student"は、動詞"study"に由来します。物理学"physics"は、動詞"study"の対象であり、動詞が表す動作に不可欠な要素です。"student"にとっての専攻分野も同様だと言うのです。根拠となる事実があります。
以下の(1)と(2)では、"student"を修飾する表現が2つ現れています。"with long hair (髪が長い)"と"of physics (物理学専攻の)"です。この2つの修飾表現の語順は、「物理学専攻の」が「学生」に隣接する位置に現れる(1)のみOKです。
(1) OK the student of physics with long hair
(2) ✖️ the student with long hair of physics
この対比は、物理学は学生にとって不可欠な要素であるのに対し、長い髪はそうではないことの反映だと言われています。専攻分野と髪の長さとの間には以下のような対比もあります。髪の長短は学生にとって付加的な情報で、学生とは密接な関係がないので、(3)の"student"は"one"で置き換えることができますが、一方、専攻分野は学生にとって不可欠な情報、つまり学生と密接な関係にあるので、(4)の"student"のみを"one"で置き換えることができません。
(3) OK The student with long hair is dating the one with short hair.
(4) ✖️ The student of chemistry is older than the one of physics.
つまり、"student"は何らかの学問分野を専攻する者であるから、「学生」ではなく、「研究生」もしくは「研究者」と訳すべきである、というのがこの教科書の著者の主張です。この議論に基づくと、学生も生徒も両方ダメです。少々極端な気がしないでもないですが、言わんとすることは理解できます。
では、研究生なり研究者としての大学生には何が求められているのか、それは疑ってかかることのように思います。と書くと誤解されそうですが、何が事実なのかを徹底的に追求するという意味です。簡単に何かを「信じる」ことがないように、とことん考え、観察する力を身につけることができれば、大学で学んだ意義があったのではないか。前回の記事で書いたPBLセミナーの受講生は、まさにそのことを経験できたように思っています。
先日、ノーベル生理学・医学賞の発表がありました。受賞者の本庶佑氏が「教科書に書いていることを信じるな」といった趣旨の発言をされたそうです。さすがノーベル賞受賞者が言うと重みが違います。こんなにだらだら書いても説得力ないなあと思いつつ、でも折角書いたので公開することにします。
それで、学生と生徒の話は一体どうなったのか。いずれも不適切なのであれば、大学生としての認識を持って学問に取り組む限り、どちらでもいいように思えてきました。そのためには学生達に好奇心や興味を持ってもらわなければなりません。我々教員としては学生の知的好奇心を喚起するような授業や指導を行う必要があります。後期が始まりました。しばらくは楽しいながらも試練の日々が続きます。