7年ほど前からBBCラジオのアプリをスマホに入れて活用しています。BBCラジオの番組を無料でダウンロードでき、自分の都合に合わせて聴くことができます。お気に入りは、ドキュメンタリー番組で、通勤やジョギングの際に聴いています。イギリス人特有の皮肉たっぷりなコメント混じりのドキュメンタリーは、時に非常に刺激的で、ジョギングしていることも忘れて聞き入ってしまい、気がついたら、折り返し地点に向けて往路を走っているのか、はたまた折り返して復路を走っているのか分からないとか、街路樹にぶつかりかけた、といったこともあるぐらいです。
数年前の番組に、怒りに関する番組がありました。ラジオ番組の中で、出演者とインタビューアーが殴り合いのケンカ直前までいってしまった事例やら、政治家、映画俳優の怒りが爆発したケースが、実際の録音と共に紹介されました。その録音だけでも十分に楽しめました。
番組の中では、悪い怒りと良い怒りについても取り上げられました。両者の線引きは容易ではないけれども、我を忘れて感情を爆発させるような怒りは、場合にもよりますが、悪い怒りに分類されるとのことで、確かにそんな怒り方を人前ですると誰も共感してくれないし、人格を疑われること間違いなしです。一方で、様々な社会改革の原動力としての怒りもあり、不正義や不平等に対する怒りが、より良い社会の実現につながっていることが紹介されました。ごく当然のことではあるものの、ジョギングの最中になるほどと頷いてしまいました。では、怒りをどのようにして社会改革にまでもっていくのか。そこには、単なる私憤ではなく、個人の枠を超えた広い視野での怒りがあり、それを改革へと向かわせる具体的かつ組織的な行動があるのでしょう。
大学の授業は教員と学生で共に作り上げていくものだと4月の記事に書きました。教員にはそれなりの考えがあって、授業を計画・実施しているのですが、学生側にその趣旨が十分に理解されるとは限りません。また、場合によっては、間違った前提のもとに授業を計画・実施していることだってあり得ます。いずれにせよ、そのような状態で授業が進行すると、学生としては、不満を通り越して、怒りすら感じることがあるかもしれません。その不満やら怒りが、より良い授業のあり方に関わるとしたら、声を上げてもらいたいと教員側では思っています。知り合いのイギリスの大学の教員が、日本からの学生は授業の期間中何も言わない癖に、授業が終わってから不平不満を言う、それでは手遅れだ、とこぼしていました。まあ、なかなか面と向かっていいづらいかもしれませんが、例えばオフィスアワーに相談に行ってみると、案外容易に解決することもあると思います。不満が高じて怒りにならない為にも、是非、研究室のドアをノックして欲しいと思います。また、次の学期からの受講生のために言いたいことがある場合には、学期末の授業評価アンケートがあります。ウェッブ入力になってから回答率が落ちています。是非、より良い授業づくりに協力してもらいたいと願っています。
教員としても怒りがあります。その怒りをいかに組織化して、より良い大学教育の実現に向けて行動することができるのか、今まさに試されているように思うのですが、学生には偉そうなことを言いながら、なかなか実現できません。