生涯教育へのさらなる充実と拡大に向けて
-教養教育カレッジ2019の経験から-
鼎談参加者
・古市ゆた (教養教育カレッジ受講生、本学教育学部前身三重青年師範学校卒業生)
・田中晶善(教養教育カレッジ授業担当教員、三重大学名誉教授)
・綾野誠紀(三重大学教養教育院長)
8月20日(火)から27日(火)の期間、本学の学生(教養統合科目)・一般市民(市民開放授業)・高校生(高大連携公開講座)・三重県内の他大学の学生(高等教育コンソーシアムみえ)を対象とした教養教育カレッジを初めての試みとして実施しました。合計3講義を開講しました。3名の名誉教授(元教育担当理事・副学長)に講師をお願いしました。田中晶善先生には、「自然科学概論(自然と生命の歴史)」をご担当いただきました。その講義に市民開放授業の受講生として参加いただいた古市ゆたさんは、夏の暑い中4日間の集中講義を休むことなく受講され、授業では活発に質問されていたとのことです。田中先生と古市ゆたさんを本学三翠会館にお招きして、生涯教育のさらなる充実と拡大に向けて鼎談を行いました。
三重大学三翠会館にて(2019年10月25日)
教養教育院長:本日は鼎談にご協力いただきありがとうございます。三重大学が実施している一般市民向けの市民開放授業をさらに拡大・発展させるために、田中晶善先生と古市ゆたさんからご意見をいただくというのが本日の鼎談の主な趣旨です。田中先生にはこの8月に実施した教養教育カレッジで4日間の集中講義をご担当いただきました。古市さんは、その4日間のハードな集中講義を市民開講授業の受講生として受講いただきました。そのご感想も含めてご意見をいただければと思います。それではよろしくお願いします。先ずは、古市さんにお伺いしたいのですが、今回の教養教育カレッジの受講理由を教えてください。
古市ゆた氏
古市ゆた:私たちの世代は、学びにすごく飢えています。私は学徒動員で小学校6年生からほとんど授業を受けていません。生まれたのが昭和4年(1929年)大恐慌の年です。小学校に入ったときに支那事変が、そして小学校6年の12月8日に太平洋戦争が始まりました。その後横浜から三重県に疎開してきました。そのような状況でしたから、何かチャンスがあれば勉強したいとか、資格を取りたいと思っています。今回は、三重大学附属病院に行った時にパンフレットを見て受講しようと思いました。
教養教育院長:ありがとうございます。次に、授業及び授業担当の田中先生に関する感想をお聞かせください。
古市ゆた:退職直後の最高に円熟されている時に授業を受けさせていただきました。自然科学の先生なのですが、授業中に歌とか俳句とかについても話されるのです。例えば、古事記の「天地初めて発けし時」とか。先生のご教養の深さが身に染みました。
田中晶善:世界の始まりについての話(天地創造譚)はどの民族にもあって、日本では古事記があります。現代では宇宙や地球の始まりや歴史を自然科学で扱いますが、これは私たちの「世界観」に関わっていて、つまり人文科学で扱うようなことがらにも深く関わっているということを述べました。古市さんにはこの点を受け止めていただきました。
教養教育院長:私も授業を一部参観させていただきましたが、旧約聖書の創世記の1節をヘブライ語で引用されていたのには驚きました。次に、古市さんから見た現在の三重大学の学生について、なんでも結構ですので、お気付きの点についてお聞かせください。
古市ゆた:個人的に話はしませんでしたけど、雰囲気が昔と違って、なんかシーンとしていました。高等学校まで勉強ばかりしてるとこんな物静かでいられるのかなと思ってびっくりしました。あまりにも教養が高くて、私が感激していても、なさらないのかなとも思いました。田中先生が、113番ニホニウムが発見された時どうでしたと訊かれた時、私なんて幾日も前から待ってたもので、「うれしかったです」って言ったら、みんなは黙ってるの。なんにも言わない。
田中晶善:たしかに学生は授業で何か思うことがあっても、それをあまり表しませんね。質問や感想を授業後に書いてもらうとしっかり書いてくれるのですが、その場では表情や声に出しません。これは教師としてはやりにくい。古市さんが授業の中で時々コメントをくださったのは手応えがあって、授業を進めやすく感じました。
古市ゆた:あと、田中先生が1日6時間話しっぱなしで、自分の経験からすると喉が痛くならないかなあと思って、チョコレート持って行きました。昔の先生とのお付き合いはそんなものでした。先生と学生がどこか一体になるところがありました。今はただ講座内容を勉強するだけなのでしょうかね。
教養教育院長:学生の教員との関わり方も大きく変わったように思います。次に、今後市民開放授業や三重大学にどのようなことを期待されますか。
古市ゆた:私たちには、あまり大学の情報が入ってきません。昔は記念祭とかあって、そういうときには、私たちは繰り出していました。卒業生でなくても、みんなと一体になってね。
教養教育院長:そうですか、広報の仕方にも問題があるのですね。記念祭というのは、今でいうと、例えば大学祭の時に何か企画ができればいいですね。
古市ゆた:そういったときに市民と一体になる時間ができればいいと思います。
綾野誠紀教養教育院長
教養教育院長:では田中先生から古市さんにご質問ありますか。
田中晶善:古市さんからは授業中にいくつか質問がありましたが、物理関連で、エネルギーの単位としてのジュール(J)を授業中で言及した際、「それはCGS系の単位ですか」と質問されたことなど大変印象に残っています。まずはお若い頃にしっかり勉強なさったのだろうと思いましたがどうでしょうか。
古市ゆた:与えられることは何もありませんでした。学校が混乱してる時ですから。旧制女学校でも旧制中学校でも、教科書に書いてあることだけでも全部マスターしたいと思っていました。 物理もすべて独学です。当時父が東京にいたので、東大で1週間の講座があった時に、アルバイトをして東京に行って神田の古本屋で本を買いました。その中に物理学という分厚い本がありました。そういった本を買ってきて熟読しました。
田中晶善:納得しました。三重青年師範学校ではどのような勉強をなさったのでしょうか。専門分野といったものもあったのでしょうか。
古市ゆた:ある程度卒業が近づいた時点で、理科と文科に分かれました。それぞれの時間が1週間に2時間ぐらいあったように思います。別途、理科の先生に「学生時代に一回も実験をしたことないから、化学の実験をさせてくれないだろうか。自分が教師になったときに実験ができないといけないから」と言ってお願いして、夏休みに学校で実験をさせてもらいました。
教養教育院長:田中先生から見られた、受講生としての古市さんについて何か印象に残ったことがあればお聞かせください。
田中晶善:「姿勢」がきちんとしておられる、という印象でした。授業をしっかり聞き、資料も読んで質問をする、という意味での学びの姿勢。もう一つは身体の「姿勢」のことで、自然なよい姿勢で端然と聴講されていました。
古市ゆた:戦争中に、気をつけとか、5メートル前方停止の礼とかいって、先生が見えると5メートル前方で、きちんと止まってお辞儀して、先生が動き出すまで動かないとか、そういう教育は今でも残っているのですね。
田中晶善:印象に残ることをもう一つ申しますと、ビッグ・バンの根拠が発見されたのが 1929年で、それは世界恐慌の年でもあったということを授業で述べたのですが、そのときに古市さんが「私の生まれた年です」とコメントされました。私もハッとしましたが、横で一緒に受講していた若い受講生にとっては、歴史が今につながることを生き生きとイメージできただろうと思います。
教養教育院長:今回の教養カレッジを担当いただいたご感想、特に一般市民や高校生との混成授業についてお聞かせください。
田中晶善三重大学名誉教授
田中晶善:混成授業の意義は大きいと思います。古市さんの存在は、勉強が生涯続くということの模範ですし、また後輩である高校生の熱心な受講もあり、現役の大学生にとっても刺激だったと思います。高校生も授業後にはよく質問してくれました。
古市ゆた:あの人たちは、あればっかり勉強してるのかと思うぐらい鋭い。
田中晶善:大学の通常の授業では、出る質問の範囲もだいたいは想像できます。しかし受講生が高校1年生から古市さんまでという混成授業では、どういう質問が飛んでくるか分からず、私は今回のこの授業のために改めてずいぶん勉強をしました。担当教員にとっても油断はできないという意味で刺激です。
教養教育院長:長い間、三重大学で教養教育(一般教育)に携わってこられた教員として、今後の市民開放授業についてどのようなことを期待されますか。
田中晶善:市民解放授業は、現状では規模は小さくはありますが、生涯学習の模範となり得ると思います。「人生百年」が現実となる時代に、大学生時代が勉強の終わりということはあり得ず、社会での経験も生かして、適当な間隔で体系的・組織的な学びをしていく必要があります。その意味で大学が今後、社会人が学ぶ場としても機能していくことが強く期待されますし、そのモデルとしての市民開放授業ということが言えると思います。大学での教養教育は、入学生が受講する初年次教育ということではなく、その生涯にわたる学習の出発点です。昨今、働き方改革ということが言われていますが、それは学ぶ機会を社会として保証する学び方改革とセットでなければならないと思います。
古市ゆた:一度社会に出ても、反省しながら一段一段人生を築き上げるためにも、市民開放授業のような学びはとても大事です。生涯教育の意義がさらに高まります。90歳になって、もうあの世行きのことばかり考えていたのに、急にリフレッシュされました。孫とも現代のいろんなことを話したりできるようになってきました。人間は死ぬまで向上心を持っているんです。
教養教員長:非常に責任重大のように感じます。本日は貴重なご意見をいただきありがとうございました。今後の市民開放授業、また、教養教育のさらなる発展の為に参考にさせていだきます。
鼎談へのご協力ありがとうございました。