三重大学 教養教育機構 機構長だより

アクティブな読書

先日、富山大学で研究会に参加したあと、北陸新幹線にちょっとだけ乗って、宇奈月温泉に行き、そこから新幹線の半分の幅で、速度は10分の1というトロッコ列車で欅平というところまで黒部峡谷をさかのぼりました。容易に人を近づかせないこんなところに、どうして、また、どのようにして鉄道を引き、ダムを造ったのだろうと思いました。

一般の人は欅平までしか行けませんが、その上流(写真の方向)にもトンネルとダムが作られており、それをさらに進むとあの有名な黒部ダムに到達します。欅平の駅で資料を見ていると、吉村昭が『高熱隧道(ずいどう)』という作品でこの先のトンネル工事を描いていることを知りました。すぐにでも読みたくなりましたが、こんな奥地に書店があるわけはありません。ふと思いついて、スマートフォンで検索すると電子書籍で入手可能でした。電子書籍はいろいろ批判もあるでしょうが、こんな使い方もあります。

『高熱隧道』はダムで青年将校の遺体が発見されるというミステリアスな話から始まります。読み進むと、すぐ目の前にそびえる断崖で幅数十センチの道を伝って機材を運び、トンネルを掘り進む人の姿が見えるようでした。トンネルは百数十度の地盤に突き当たり、ホースで人に水をかけながら、そしてホースを持つ人にも水をかけながら掘り進みます。高熱の他、雪崩や事故で合計三百人以上の人が亡くなったとのことです。なぜそこまでしてという疑問が出てきましたが、太平洋戦争直前という時代で、吉村昭はこれがいわば「国策」であったことを指摘しています。

私はここに来なければ『高熱隧道』などという作品に興味を抱かなかったでしょうし、たとえ読んでも(もちろんこの作品自体は小説ですが)これほど現実感を持ってとらえることはできなかったと思います。このような読書の仕方もあるというのは新たな認識でした。

ところで、いよいよ10月1日から後期の授業が始まり、新しく全員が履修する「アクティブ・ラーニング教養ワークショップ」も始まります。ここでも何度か紹介していますが、新書で論説文を読み、グループで議論して、各人が書評にまとめます。これまでも準備を重ねてきましたが、先日、担当者が全員集まり、最終的な打ち合わせを行いました。私たちも初めての経験ですが、わくわくしながら準備をしています。

論説文ですから『高熱隧道』のようにはいかないでしょうが、内容を自分の問題としてとらえるならそれが現場で読むことになります。わざわざグループで討論するのはそのためです。グループでどのような本を読むのかを決 めるのですが、たとえば、環境、原発、災害、安全保障、いじめなどの問題を扱うことになったら、現実と照らし合わせながら考え、 議論していくことができると思います。そして、それは「アクティブな読書」ということになるのではないでしょうか。

私は欅平で『高熱隧道』に没頭してしまい、かなりの部分を読んでしまいました。雄大な自然の中に人間の歴史を感じて、帰りのトロッコ列車から見える風景がまったく違ったものになっていました。

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三重大学 教養教育機構長
井口 靖 

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