三重大学 教養教育機構 機構長だより

隠れキリシタン

 名古屋から北に1時間ほど行った電車の終点に御嵩(みたけ)町というかつての中山道の宿場町があります。ここから江戸に向かって旧中山道を進むとやがて山中に入っていきます。「牛の鼻欠け坂」(牛の鼻がこすれて欠けるほどの傾斜)と呼ばれる急なところもありますが、今は整備されてとても気持ちのよいウォーキングコースです。そこを歩いていたら、近年街道脇から隠れキリシタンの遺物が見つかったと書いてありました。現在はマリア像が立っていますが、仏教の五輪塔などの下で十字架やマリア像が刻まれた石がいくつも発見されたそうで、実物は町の資料館で見ることができました。長崎の隠れキリシタンなどは有名ですが、ここでも厳しい弾圧の中で密かな信仰が続けられていたようです。仏様を拝むふりをして実はその下に埋めていた十字架に向かって祈っていたという庶民の情熱としたたかさに打たれました。

 今『アウシュヴィッツの図書係』(アントニオ・G・イトゥルベ著、‎小原京子訳、集英社、2016)という本を読んでいます。事実に基づいた物語だそうです。もちろんユダヤ人を大量虐殺するために作られた収容所に図書館などあるわけがありません。密かに持ち込まれた8冊の本を必死に隠しながら管理する少女の話です。毎日ユダヤ人が連れてこられ、ガス室で大量に殺害されています。その脇で、明日の命の保証さえもないのに、そこまでして人は本を読もうとするものなのでしょうか。

 隠れキリシタンにしてもアウシュヴィッツの少女にしても、投げ出してしまえば安全だし、何より安心して過ごせるはずです。なぜそこまでして守るのでしょうか。もちろん最も大切なのは命です。でも人間らしく生きるために命以外に守りたいものというのがあるのでしょう。それは生きることそのものであり、命と同じくらい大切な物なのでしょう。

 この機構長だよりも3年になります。ずっと読んでくださっている「隠れファン」も何人かいらっしゃるようです。(迫害されていないことを望みます。)これは公的なブログなので実は本音が書けない時も多いのです。でも本音は完全に隠しきれるものではないようで、「隠れファン」の方はきっとそれがわかって読んでいらっしゃるのでしょう。その機構長としての任期もあと2ヶ月となりました。

 近年の国立大学の状況は厳しく、本当に守るべきものを守って来たのだろうかと思うことがあります。人や予算は削減されるのに逆に雑務は増え、教員にも事務職員にも余裕がなくなっています。達成すべき数値目標なども設定され、大切なものを見失ってしまいそうです。大学は言うまでもなく、教員が専門の研究をし、その成果を学生たちに伝え、教員と学生が共に考え、悩み、成長する場所です。教養教育と言っても、いや、教養教育こそそうあるべきだと思っています。一見無駄に見えるところに本来の研究と学問はあり、それは数値で測れるようなものではないでしょう。

 毎月、教養教育機構の全教員が集まって研修会をやっていますが、今月は、グループに分かれて、日々の授業で困ったこととその解決策について話し合い、それぞれのグループが発表しました。「そう、そう」「なるほどね」などの声があちこちで聞かれました。私たちが守りたいものはやはり日々の授業です。そして、そこでの問題をざっくばらんに話すことのできるこのような雰囲気もなくしてはなりません。

 今回もまた本音の多くは土の中に埋めざるをえませんでした。

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三重大学 教養教育機構長
井口 靖 

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