三重大学 教養教育機構 機構長だより

バベルの塔

 先日、ブリューゲルの「バベルの塔」の美術展に行ってきました。ブリューゲルは16世紀のオランダの画家ですが、「バベルの塔」というのは旧約聖書の創世記に出てくる話です。

 そのころ、すべての人が同じ言語を話していました。のちに「バベル」と呼ばれることになるこの地の人々は天まで届く塔を造ろうとしました。それを見た神様は、人々が互いに理解できなくなって、仕事が進まなくなるよう言葉を違えてしまったというのです。それで現在世界にはさまざまな言語があるというわけです。バベルの人たちが変な気を起こさなければ私たちは今頃外国語で苦労することもなかったのかもしれません。

 神様が言葉を異なるものにしたという場合、それは「ツリー(tree)」を「キ(木)」にしたというように、単に音を変えたということではありません。なぜならtreeの指す範囲は「木」の指す範囲とは異なるからです。「この机は『木』でできている」というときにはtreeは使わず、woodを使います。あるいは、中学校でbrotherという語を習ったときに、それは「兄」でもあり「弟」でもあることに違和感を覚えたことでもわかります。つまり、言語が異なるということは、単に音が異なるだけではなく、現実世界の切り取り方、見方が異なるということです。だから、お互い理解するのがより困難になるのです。

 本学の教養教育の理念のひとつに「グローバル化に対応できる人材の育成」ということがあります。これは単に英語ができるということではなく、世界にはいろいろな文化や考え方があることを理解するということです。もちろん大学ですべてを学ぶことはできませんが、いろいろな文化や考え方があることを知り、将来、知らない文化や考え方に接したときにも対応できるようになってほしいと思います。専門教育が狭い範囲で高みを目指すとしたら、教養教育は裾野を広げることでしょう。

 教養教育では哲学、歴史、文学、社会学、法学、経済学、地理学、心理学、数学などの「教養統合科目」が250以上開講されています。本学ではこれらを理念に沿って「地域理解・日本理解」「国際理解・現代社会理解」「現代科学理解」という3つの領域に分類しています。その気になればその道の専門家からいくらでも多様なことを学ぶことができるのです。

 その一端を市民の方にも味わっていただこうと、今年も「バラエティとインテリジェンスに富んだ」公開講座を開講することにしました。詳しくは次をご覧ください。

 http://www.ars.mie-u.ac.jp/event/class/2017-2.html

 ブリューゲルの絵は思ったよりも小さなものでした。しかし、その中にはこまごまといろいろな人物が描いてあります。一説によると千数百人いるそうです。斜め上空から描いているので、まるで神様が望遠鏡で眺めているような感じです。ひょっとすると、ブリューゲルはあえて小さな絵にして、人間もちっぽけに描いたのかもしれません。言葉を通じなくしてしまったのも人間にとってはたいへんなことではあるけど、神様にとってはちょっとしたいたずらだったのかもしれません。ドイツ語にüber den Tellerrand hinausschauen(皿の縁を越えて眺める)という表現があります。「(自分の文化や領域を超えて)開かれた目を持つ」というような意味のようですが、人間はせいぜい皿の中にいて外を眺めているくらいの存在ということでしょうか。

 それでもブリューゲルの描くバベルの塔自体はすばらしく、実際にあるのなら登ってみたくなります。でも神様のいたずらがなくてもこの塔はいつかは限界に達したことでしょう。もっと裾野を広げておくべきだったのではないでしょうか。