とある中東起源の宗教の聖典には、ぶどう酒とそれを入れる革袋に関する有名な「たとえ話」があります。新しいぶどう酒を古い革袋に入れてはいけない、そんなことをすると、新しいぶどう酒は古い革袋を破って流れ出てしまう、という話です。新酒はさらに発酵が進むのに対し、古い革袋は固く伸縮性がなくなっており、それ以上膨張しないので破れてしまう、というのが文字通りの意味です。宗教にまつわるたとえ話ですので、意図されている宗教上の意味が別にあるのですが、そのことは置いておいて、教育研究機関としての大学に関するたとえ話としても成り立つような気がしています。
同じことを単に続けているとルーティーン化し、本来の意味が徐々に失われ、形骸化してしまうというのはよくあることです。そうならないために、常に調整をしつつ、さらなる高みを目指すことが、技や芸を磨き、その道を究める際に求められるでしょう。個人レベルだけではなく、組織である大学にも同様のことが求められているように思います。
2015年4月に開始された三重大学の新しい教養教育ですが、この4月で4年目を迎えました。この間、三重大学の教養教育の充実の為に、様々な取り組みを行ってきました。例えば、教員間の授業参観を積極的に行っていますが、2017年度に授業参観のために公開された授業数は110、実際の授業参観は166回になりました。ただ参観するだけではありません。授業参観後は、参考になった点を中心に感想を書き、それを受けて授業担当者がコメントをします。そのやり取りが教養教育院の全教員に公開されています。さらに、月例の研修会や、お昼休みにランチをとりながら実施している懇談会でも、お互いの授業についてオープンに話し合っています。教養教育のアクティブ・ラーニングの基幹科目であるスタートアップセミナーや教養ワークショップでも、授業担当者の打ち合わせを綿密に行い、授業終了後にはふりかえりを行い、授業改善を常に検討しています。学生を受け入れる革袋はいつも新しいという自負があります。
一方で学生のみなさんはどうでしょうか。新しい革袋を用意していますので、新しいぶどう酒の勢いで成長し続けて欲しいと思います。自律的かつ能動的に学ぶことができる環境も整えていますので、是非、積極的に大学での学びに取り組んでいただきたいと願っています。それこそ、勢いよく発酵が進み、真新しい革袋の膨張が追いつかないぐらいであってほしい。そうすれば、さらに新しい革袋を用意します。
本年度の教養教育の履修案内にも書きましたが、大学は、教員と学生が学び合う場であり、授業も教員と学生が共に作り上げていくものです。そのようにお互いが切磋琢磨する中で、よりよい教育研究が実現します。
ちなみに、数十年前のことになりますが、新しいぶどう酒と古い革袋のたとえ話を初めて読んだ時、革袋に液体を入れるのかと不思議に思い調べてみました。当時は水筒も革袋で出来ていたようで、ヤギや羊の皮を使用していたようです。その後、中東地域が舞台の映画の中で、水か酒を革袋から飲むシーンがあり、なるほどと納得しました。もし、たとえ話について疑問に思い、自ら調べていなければ、それが革袋であることに気付かなかったかもしれません。世の中の見え方が、このようなたわいもない学びにより変わるのだとすると、大学での学び(=学問)ではなおさらでしょう。それこそが大学の存在意義ではないかと思っています。